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に ⼤き く 貢 献 したArnold G oldberg(1992)は、こ う 例 証 している(2015a、Eva Papiasvili との ⼝ 頭 でのやりとり)。 「 私 た ち は 銀 ⾏にお ⾦ を 預 けたり、 恋 に 落 ち たり、ト ラ ブ ルに ⾒ 舞 われたりするが、そ の 際 、 ド ルが 取引 の⾏われた 建 物 に 物 理的に 保管 されていると考えたり、「 恋 」や 「ト ラ ブ ル」を 場所 として 想 像 したりすることはない。これらはあまりにも 具 象化されやすい ⽐ 喩 である。このよ う に ⽐ 喩 が 不明 瞭 なことは、 私 た ち が ⼼ は 何 らかの 形 で 脳 の 内部 にあ り、結 果 としてそれは 頭蓋⾻ の 内部 にあると 仮 定することを 通じ て 繰 り 返 されて き た。す なわ ち 、そのため 何 かや 誰 かを ⼼ に思い 浮 か べ るとい う過 程 は 置 き 換 えとい う ⾏ 為 に ほ か なら ず 、これは表象によって単 純 か つ 安 易 に 達成 されてしま う 」。 単に ⾃ 分の ⼈ ⽣を 脳 内 の ⼩ さな ドラマ に 置 き 換 えるとい う 誘惑 と 著 しく 対照 的なのが、 拡張された ⼼ の理論である(Ro w land, 2013)。理論とは 真 の状 態 を 説明 するものではな く、 必要 なと き に使える 便 利 な 道 具 として考えるのが 最 善 である 以 上 、拡張された ⼼ とい う 概念は現在、 私 た ち が 対 象関 係 を考える 際 の⽅ 法 を 変 えるために使われている。この拡 張された ⼼ の理論は、もともとは 認 知 に 適 ⽤で き るものとして 導 ⼊ されたが、精神分析に おいては、 ⾃⼰ や 個⼈ をめ ぐ る理論に ⼿軽 に、か つ容 易 に 採 ⽤されている。 簡潔 に 述 べ る と、 ⼼ を 頭 の中の ⼩ さな 場所 に 閉 じ こめられたものとして考えるのではなく、むしろ ⼼ は 環 境 の中の ⼈ や 出来 事 を 包 含するよ う に拡張されたものである、とい う ことである。これ を考える 最 良 か つ最 も 簡 単な⽅ 法 の ひ と つ が「 凝 視 」 とい う 現象である。 実験 によると (Sheldrake, 2013)、 ⼈ は 他 ⼈ が ⾃ 分を 凝 視 していると き 、それを 視 覚 的に 確認 すること がで き なくてもそ うだ とわかる。も ち ろ ん 、 ⼼ がそれ ⾃体 を 知 ろ う と 世界 の中 へ 向 かって いくかに つ いては、さま ざ まな考え⽅があるし、まさにこれは ⼦ど もた ち が 世界 に つ いて 考える「 正常 な」⽅ 法 である。しかし、 私 た ち は ⽇常 の精神分析 実 践 の中で、ある 特 定の 転移の 布 置 とい う形 で、拡張された ⼼ の理論を ⾒ ている。 Heinz K ohut(19 7 1)が ⾃⼰ の ⼼ 理 学 に つ いての考えを定 式 化しは じ めたと き 、 彼 は、患 者の中には ⾃ 分が患者の ⾃⼰ の 重要 な 構成要 素 となるよ う な、意義 深 い転移を展 開 させる 者がいることに 気 づ いた。 彼 は、 退 ⾏によって 再 活 性 化され、 別個 の存在を 享 受 するよ う になった 古 い 対 象ではなく、むしろ、分析者をその ⼈ やその ⼈ の ⾃⼰ の 構成要 素 として 経 験 する、 ⾃⼰ の 再 活 性 化された 部 分であった。これらの転移の 布 置 は、 鏡 映 転移、理 想 化 転移、双 ⼦ 転移のい ず れかに分 類 で き 、それ 以 上にこれらは 正常 な ⾃⼰ の発 達 の中で ⾒ ら
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