IPA 地域間精神分析百科事典

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理解を 深 めた。 彼 ⼥ は、ま だ⾔葉 を 持 たない 乳児 (in f ans)にとって、 ⺟ 親 の ⾔ 説 の「語られ た 影 」のなかに 不 可 避 の「 予 期 とい う 暴 ⼒ 」が存在することを 指摘 した。さらに 彼 ⼥ は、 ⼦ど もが ⾃ らにより 備給 された 他 者との関 係 を ⽰ すことにより「 私 を同定し、 構成 する」 ことになる 情 動を 名 づ けるとい う 「 事 後性 」( ⺟ 親 が ⼦ど もの 反応 を 観 察 した 後 であり、 ⼦ど もが ⾃ 分でそれに つ いて ど のよ う に 話 すか 知 る 前 に⽣ じ るため 事 後 的である)の中 ⼼ 的な 役割 を強 調 した(p 9 7 )。 W innicott にとって、 対 象はまた、 空想 と 知 覚 を 区 別 で き る 機能 的な ⼼ 的 装 置 の 誕 ⽣に 不 可 ⽋ な 役割 を 果 たしている。 対 象は、 乳児 との ⼆ つ の 主 な相互作⽤を 通じ てこの 変 形 と 構 築 を 処 理する。 ひ と つ めは、 乳児 が ち ょ うど それを 必要 としたと き にまさに ち ょ うど の タイ ミ ング 良 く ⺟ 親 から共 感 的に 提供 される「発 ⾒ されること- 創造 されること」である。 次に、 欲 動の 対 象として「使⽤」されることに 対 して 対 象が「⽣ き 残 る」ことで、 ⾚ ん 坊 は ⾃ 分の願望と 外 的現 実 を 区 別 することがで き る。 WI nnicott(1960 b, p. 1 4 1)は、 乳児 にと って 本 能 的な 衝 動や 情 動は、 ⾃我 にとって 晴天 の 霹靂 のよ う に 異質 だ と 主 張する。 ⼦ど も が 徐々 に 欲 動を 主体 化し、それを 環 境 的な ⼒ から 区 別 するのは、「 創造 されること-発 ⾒ さ れること」と「 対 象の使⽤」(1953, 1969)とい う 2 つ の相互作⽤の カ テ ゴ リーにおいて う まく 折 り合いを つ けることを 通じ てである。このよ う に、 ⼦ど もの ⾃ 発的な 対 象- 指 向 的 な 推 進 ⼒ と 親 の「 反応 」との「 出 会 い」 特有 の 性 質 は、⽂ 字 通 り 主体 の ⼼ 的 内 界 での 体 験 を 形成 することといえる だ ろ う 。 欲 動が ⾃ 分 ⾃⾝ の⼀ 部 として 感じ られる 以前 に、それは 外 的な 他 者の 反応 を 通過 しなければならない。このよ う に、 W innicott にとって、 欲 動は 単なる「 先 天 的」なものではなく、 他 者との関 係 の中で 本質 的に「 構 築 」されるものなの である。 対 象の 役割 に関する W innicott のも うひ と つ の 主要 な 洞 察 、 つ まり 外 的な 世 話 をしてく れる 他 者によって 提供 される ⼼ 的な存在の 質 に つ いては G reen( 19 7 5、1985、2005、 200 7 、2011)によって集中的に 研究 されて き た。 多 す ぎ ることも 少 なす ぎ ることも⽣まれ つつ ある ⾃我 the nascent ego を 刺激 で 圧 倒 し、 ⾝近 な 他 者 N ebenmensch の 変 形可能性 を 阻 害 する。 G reenは、 W innicott の「 他 者といながら⼀ ⼈ でいる 能⼒ 」(1958)が ほど よ い 親 に 求 めるのは、 最 適 な 距離 を 保 つ能⼒ 、 つ まり 最 適 な 不 在であると 指摘 した。この 不 在は 喪 失 ではなく「 潜 在的な在であり、移⾏ 対 象 だ けでなく、思考の 形成 に 必要 な 潜 在的 な 対 象の 可能性 のための 条件 である」(19 7 5, p1 4 )と G reenは ⾔う 。この W innicottの 読 解において G reenは ⼼ 的⽣活における「 不 在」の 役割 に つ いてLacanの ⼆ 重 の 洞 察 を 創造 的に拡張している。すなわ ち 、 ⾔ 語は 不 在の 対 象を表象する 能⼒ 、およびそして/あるい

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