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ちに 特 に 影響 力 をもっている。 L a p lanche(1993、1999)は、 個 人の心を 運命 の中心に置 く Freudの 見 方の「 プ ト レ マ イ オ ス 的」 性格 を 批 判 している。 む し ろ 、 小 さな人間を大人の 周 りで 回 転 させた「コ ペ ル ニ クス 的」なものとして、 乳児 期 の 基本 的な「人間 学 的(文 化 人 類学 的) 状 況 」は、他者の「 優 位 性 」に よって 完 全に中心から外されたと L a p lancheは主 張 する。 L a p lancheが 強調 す る大人と乳児の間の 抜本 的な 非 対 称 性 は、乳児の心的構造に大きな 影響 を 与 え るとされる。それは、大人が 無 意識を持つ 性 的で 言葉 を 話 す存在であるのに対 し、乳児は 性 的でもな く言葉 を 話 すこともでき ず 、まだ内的に分 化 していない という 事 実にある。大人は、乳児の身体との最 早期 の 親 密 さの中で、 彼 あるい は 彼 女 の 無 意識的な乳児 期 の セ クシ ュ ア リ ティ が 喚 起 されることに ほ とんど 気 づかない。この 無 意識の セ クシ ュ ア リ ティ は、乳児との 親 密 な交流を「 謎 めい た メ ッ セ ー ジ 」という形で「 汚 染 」するが、乳児にはそれを解 読 する認 知 的、 感 情的、身体的 手段 がない。このような大人の 無 意識的な セ クシ ュ ア リ ティ の 謎 めいた メ ッ セ ー ジ は、乳児の 側 に内的な「 翻 訳 へ の 圧 力 」という形で、欲動 と 無 意識的な 幻 想 を生 み 出す。 L a p lanche にとって、この 謎 めいた セ クシ ュ ア リ ティ とは、Freud が発 見 した乳児 期 の セ クシ ュ ア リ ティ である。この セ クシ ュ ア リ ティ は生 得 的なものではな く 、現実の他者から 植 えつけられたものであ る。もっともここにおける重要な現実とは — L acanを 批 判 的に 吟 味し、 再 加 工 し たもので — 「 メ ッ セ ー ジ 」の現実であるとされ、これが L a p lanche が Freud 的な 心的現実と 物 的現実に 加 えた 第 三の現実である。このように、 L a p lancheにと って人間の セ クシ ュ ア リ ティ とは — これは 彼 にとって 空想 を 媒介 とする セ クシ ュ ア リ ティ を意味するが — 他者から 来 たものであり、「他者」( 自我 にとって 異 質 なもの)である。 心的 装 置の 変 形における現実的で 独 立 した養育者の 役割 について 深 く考 察 し たもう一人の 著 者は Reid(200 8 a, 200 8 b, 2010, 201 5 )である。 彼 や B o t ellas (2004,200 7 )、 B russe t (19 88 , 200 5 b, 200 6 , 2013)、Seulin (201 5 )らは、 Freudの一 次過程 思 考 の発 見 が、ある意味、人間の乳児的な心に 支配 的な 状態 として、 完 全に 無 意識の 幻 覚 的な機 能 様式を明らかにしただけでな く 、心的 装 置の中心に 快 原理が 配 置されるのは 所 与 のものではな く 、 ニ ー ド の 充 足にまつ わる 環境 と 赤 ん 坊 が共 有 する 快楽 の 結 果 であると主 張 している。 『 夢 解 釈』 で 明らかにされた Freud の「心の 状態 」とは、 表 象と 知 覚 、 願望 と外的 事 実を 区
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