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別 できる心のことである。一方、Freud が 1 8 9 7 年 に 無 意識について 観 察 したよ うに、情動によって 備給 された 願望 は、 事 実 上 知 覚 と 区別 がつかない。このよ うに、 無 意識は 常 に、 思 考 が 即 座 に 行 動を意味すると 推測 されるような、 潜 在 的に外 傷 的な方 法 で作用する。 第 一の認 知 機 能 を 阻 害 する 第二 の認 知 機 能 の 変 形、あるいはより 正 確 には 追 加— Freudが 割 り 当 てた 二次過程 — は、対象からの 適 切 な 行 為 的な 介 入を 必 要とする。 初 期 の養育者からの 不 十 分な 抱 えること holding、もの 想 い、 応 答 は、対象の 無 意識 過程 の大 部 分を、 魔術 的で 本質 的に 外 傷 的な 水準 に 残 すという 不 幸 な 効 果 を 加 えてもたらす。これとは対 照 的に、 環境 が 十 分に 整 っている 場合 、「現実」そのものが 知 覚 的であると同 時 に 幻 覚 的であり、子どもの外 界 との出 会 いが、 彼自 身の欲動の 創 造的 錯 覚 に 支 えられ ている。この 観点 からすると、 死 の欲動とは、 表 象に欲動を 注 入することに 失 敗 した 結 果 生 じ る 有害 な 副 産 物 なのである。 L acan、Winnico tt 、 G reenと同 時 代の アメ リ カ の L oe w ald もまた「欲動論そ のものを 改訂 する」(19 7 2, p 324)ことによって、対象関係と欲動の 独 立性 を 否 定した。「心的な 力 として理解される 本能 的な欲動は、体 質 的なもの、生 得 的 なものとしてではな く 、原初的な 母 子一体の心的な 場 における相互作用を 通じ て 組織化 されるものとして 概念化 されると 示 唆 される」( p 324)。 L oe w ald は、Freudの「 拘 束 」binding という 概念 を 強調 することで、 融 合 と分 離 、 拘 束 と解放 unbinding が対象のない 真 空 において生 じ 得 るとした Freud の 考 えの中 では明らかではなかった関係 性 の 含 意に 気 づいた。 L oe w aldは、 本能 を 拘 束 す るには、 本能 を「 飼 いならす」という意味でも、 本能 の「 表 象」という意味で も、対象が「 媒介 」する 必 要があると 考 えた。このようにして、 彼 は Winnico tt の「 自我 ニ ー ド 」という 概念 に共 鳴 しているようである。Winnico tt は、「乳児の ニ ー ド が、たとえそれが重要なものであったとしても、 本能 の 緊 張 (の 単 なる満足)に 限 定されるものではないということを理解するのが 遅 いた めに、 多く の 誤 解が生 じ ている」(19 65 , p . 86 )と 苦言 を 呈 している。 彼 は 「 T rieb 」を 「 本能 」としたS t rache y 訳 を用いたが、 L oe w aldの 思 考 は、 以 下 の 広 範囲 に 渡 る 引 用が 示 すように、 第 三の モデ ルによる 貢 献という 項目 に 属 するものである。
「 本能 的欲動と呼 べ るものはす べ て、心的な 力 として、ま ず 母 子 一体の心的な 場 の マ トリッ クス の内 部 で発生し、 組織化 され、そ
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