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Louis Brunet (2010) による現代のフランス系カナダ圏のモデルは、この主題についての 「後期ビオン派」 (Grotstein, 2005) とフランスの思索の統合の一例であり、この概念の特異 的な臨床的解釈を提供している。ここでは、コンテインメントは「空想的 fantasmatic 」と 「現実的」の両方の側面を持ち、合わせて理解される必要がある。患者と分析家の両方のこ ころのなかには精神内界的および「空想的」な側面があり、そして分析家や対象からの「現 実的」な反応がある。以下は、十分にコンテインする反応に至るための 5 段階を要約した分 類である: 1. その開始点は、破壊することのできない潜在的な対象の存在についての患者の無意識的 空想と関連した患者の投影同一化(分析家のなかに排泄 / 投影された苦痛な内容)で構成 されるかもしれない。その破壊することのできない対象は、それらの危険な投影を「コ ンテインする」ことができるであろう対象であり、そしてその子どもに(患者に)この 内容の「耐えられる」「統合できる」バージョンを返すかもしれない ; 2. この最初の「精神内界の」動きに続いて、患者もしくは子どもは、インフラ言語的 infra- verbal 【訳注:非言語的に伝わるもの】および言語的なコミュニケーション、態度、振 る舞いを加え、それらは主体(分析家、親)に対する情緒的な誘発として作用する。こ れらの誘発は、投影されたものを分析家に感じさせて取り入れさせるために「分析家に 接触」しようとする試みである (Grotstein, 2005 を参照 ); 3. 「現実の」対象 ― 母親、分析家 ― は、接触され、印象づけられ、動かされ、攻撃され、実 に患者 / 子どもからの蒼古的な要素の転移によって必要とされるあらゆるやり方で使用 される準備ができている必要がある ; 4. 母親、分析家は、いくらか意識的にだが主には無意識的に、同一化を通して情緒を感じ る。そのような同一化と分析家 / 母親自身の「触発された」不安と葛藤の混合は、混合物 としての自己 - 対象を創り出す。 De M’Uzan (1994) はキメラ【訳注:ギリシア神話に登 場するライオンの頭と山羊の胴体と毒蛇の尻尾を持つ怪物。異質同体の意】の概念を用 いてこの側面を研究している ; 5. このキメラは分析家によって「理解され変形され」なくてはいけない。この作業は患者 / 子どもの投影と、その投影によって動かされた分析家 / 母親自身の葛藤と情動の両方の 「心的消化」として見なされるかもしれない。分析家はそれから「消化できる内容」を 返さなくてはいけないが、それには患者に逆 - 投影同一化を送り返してしまう危険があ る。
中南米では、 Cassorla (2013) が慢性的なエナクトメント(エナクトメントの別項を参照)
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