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記述を区別した。すなわち「古典的な」著者たち ― フロイト に始まる ― は洞察の発展を強調 し、自我を強めるよう心的構造が変化することと関連して分析の目的を考えていた一方で、 「ロマン的な」著者たち ― 初期の対象関係論者である Ferenczi そして 「新規蒔き直し」と いう概念を提示した Balint 自身 — は力動的または情緒的要素に焦点をおいた (Balint 1935, p.190) 。 Ferenczi の初期の論文、「取り入れと転移」 (1909) は分析家の逆転移を被分析者の 転移と相互作用するための道具とみなすことでこの発展の前兆となっている。全ての類の 情緒的反応 が、外傷体験のある患者に対して感じる愛情ですら、 心的変化に対する原動力に なりうる と Ferenczi は主張した。彼の「参与する観察者」という分析的スタンスと「柔軟 性のある技法」 (Ferenczi 1928) は、逆転移を共‐構築され共‐創造されるものとして考え、 そして分析家の主観的経験を分析的治療の中でさまざまな重要性をもって参与しているも のとして考えるようなその後の考え方の、歴史的な先駆といえよう。 Ferenczi の逆転移に ついての観点の提示そして柔軟性のある技法という彼の臨床は、とりわけ外傷体験をもつ 患者との分析的作業において、非常に創造的で一貫して影響力を持っていると認知されて いる (Papiasvili 2014) のだが、 Balint (1966) が好意的だが厳密に検討したように、当初か ら論争を呼び幾分過剰だとみなされた。この観点のより革新的な部分は、後に、 性愛的な逆 転移 [ 分析家がアナリザンドに性的関心を発展させること ] でさえも患者に心的変化を引き 起こすことができると主張した北米の分析家 Harold Searles(1959, 1979) により表面化し た。 逆転移が有効な治療的手段になるという考えは 1950 年に Heimann により明示された。 Heimann は患者に対する分析家の情緒にまず焦点づけた。 Haimann の逆転移についての 基本的な想定は「分析家の無意識が患者の無意識を理解するのであり、この深いレベルでの ラポールは、分析家が患者への反応において、すなわち「逆転移」において気付く感情とい う形で表面化する」 (Heimann 1950, p. 82) というものであった。分析家は患者への自らの 情緒的応答 ― 逆転移 ― を隠された意味を理解するための鍵として使用しなくてはならない。 つまり、分析家は「引き起こされる感情を … 分析的課題に利用するために、(患者がするよ うに)排出する代わりに耐える」ことができなくてはならない (1950, p. 81-82) 。このよう に、分析家の逆転移は、 Heimann によると、 患者の無意識 の中へと 精査する道具 であり、 それは分析的作業の中で最も重要なものである。しかしながら、それをどのような条件で分 析的に利用するかということについては、それとして認識するが体現しないというものだ った。 Heimann(1960, 1982) の定式化は、広く精神分析文化の中で、逆転移についての著作物に 影響力を持ち啓蒙するものとなった。これが逆転移の「 二者関係の観点 」と呼ばれるように なったもので、分析家から被分析者に早期の無意識状態の遺残物を移すのに加え、分析家と 被分析者の間の相互作用によって創造されるものの一部という認識を表す。 このより広い 観点では、「逆転移」という用語はセラピストの無意識的衝動や不安、内的対象、そして過
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