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合いと同じくらい、 補 足 的な同一 化 が大きくなる。
融 和 的同一 化 は共感という性 質 を 持 つ と 説明 され、 昇華 された 陽 性の同一 化 に 源 がある。 一方では 主 体としての分 析 家がいて 知識 の対象としての 被 分 析者 がいる。対象関係はある 意味 消 え、そこには 主 体の一部と対象の一部の間のおおまかな同一 化 が存 在 する。それは 「 融 和 的」と 呼 べ るような 組 み合わ せ である。 他 方で、分 析 家の 側 の 真 の 転移 といった性 質 を 持 つ 対象関係が存 在 する。そのさい 被 分 析者 は分 析 家のなんらかの 内 的( 蒼 古 的)な対象 の代わりとなり、それと同時に分 析 家は 早 期 の体 験 を 再 生する。この 組 み合わ せ が「 補 足 的」 と 呼 ば れる。このようにして、 逆転移反 応 を通じて分 析 家は 患 者 の 内 的に 主 要な 役 が自分に 投 影 されることを 気づ くことができる。 Heimann はいく つ かの 点 で 反 対の 立場 をとる。それは、 逆転移 は 患 者 に 反 応 して分 析 家 に感情を 喚 起 するというものである。このような感情は 分 析 家の感情 であり、 患 者 の分 析 家 への 投 影 同一 化 の結 果 ではない。そしてそれらを 心 に 留 め 理解 することは 患 者 の 無 意 識 へ 接近 する 構成 要 素 となる。 Heimann の 発展 さ せ たものでは、 逆転移 は分 析 家に「意 識 と 無 意 識 で感 知 していることに 隔 たりが生じている」 可 能 性を 伝 える 無 意 識 の「 認 識 の 道 具 」で あり「分 析 家の 仕 事 に 極 めて 重 要な 道 具 … 」である。そのような 違 いは 帰 するところ「 患 者 の 無 意 識 的 取 り入れ、そして 患 者 との 無 意 識 的同一 化 」 となる (Heimann 1977, p. 319) 。 Berlin から 亡 命 したあと Heimann は 最初 に Klein 派と関係をもったが、 彼 女 は 逆転移 を 二者心理学 的 視点 からみるグループに 含 められることが 多 い。 彼 女 は自身が Klein から 独立 し 始 め Ferenczi およ び Balint の世 界 と 再 び 結 びつ くようになったのを「 逆転移 に つ いて」という 論考 からだとしている。その 論考 では、分 析 家の 情緒的 応 答 の 豊 かな 働 きに 集 中的に 焦 点づ けすることと 情緒的表出 に つ いての 注 意 を バ ラ ン ス よく 混 ぜ る ことを 提示 し ている。 彼 女 は分 析 的 逆転移 を 患 者 の一 種 の 創 造 物 であり、分 析 家に 役 に 立つ ものとみな していたようだ。しかしながら、 彼 女 の 臨床 の ヴ ィネ ットでは 逆転移 を「手がかり」とも「間 違 った手がかり」ともとれる自身の感 覚 を 含 めている。 逆転移 という 概念 がますます 重視 されることに 纏 わる 論 争 において、 Winnicott の 『 逆転 移 のなかの 憎 しみ 』 は 重 要で 独立 した位 置 を 呈 している。 1949 年 に出 版 されたこの 論 文は Heimann が 詳 述 した 内 容を 予示 するもので、とりわけ Winnicott が 逆転移 の一 面 として 相 互 的で 欠 か せ ない 攻撃 性の 役割 を 概念化 したことで、 逆転移 に つ いての 複 数 の 考 えが出現 する中、 彼 を 欠 くことのできない存 在 にした。 Winnicott の 二 本の 論 文、 『 情緒 発達 との関 連でみた 攻撃 性 』 ( 1950 )と 『 逆転移 のなかの 憎 しみ 』 ( 1949 )は共に 分 析 家の 攻撃 性と 憎 しみの 必 然 性と 臨床 的な 有 用性 を 明 らかにしている。 Winnicott によると、 憎 しみは 愛 と母 親の 原 初 的 没頭 に 反 対するものではなく、それと 対になっている 。 憎 しみは境 界 を 設 定し、 分 離 において、そして 幻 想と現実をとき ほ ぐ す 被 分 析者 の 能 力において助けとなり、 万 能 感 による 危険 な 経験 を 減 らす。このようにして、 セ ッ シ ョ ンの時間を 終 えることに 含 まれてい
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