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釈されなくてはならない」ということである。枠組みは「ある領域を区分する。その領域の 内側で知覚されるものは、⽂字通りではなく象徴として、メタファーとして受け取られなく てはならない」(1952b, p. 80-81)。Rycroft (1958)と Heimann (1957)は、枠組みよりもむし ろ「図と地 figures and ground」に⾔及した。その他の著者たちは、「枠組み」と「設定」と いう⽤語を同義として使⽤する。本項⽬では、特記がない限り、これら 2 つの⾔葉は同義語 として使⽤されている。 枠組みの時間的な側⾯での Lacan の試みは、古典的な設定の持つ臨床的及び理論的な含 意を真剣に熟考することを促進した (1958-1997)。もう⼀つのLacanによる刷新は、分析 家を、知っていると想定される主体 the subject-who-is-supposed-to-know として仮定した ことだった。この概念は分析的関係における必然的な間‐主体的⾮対称性を深く重んじて いると同時に、⾃らを、患者たちのために健康な⾃我を体現しているのだと⾒なす分析家た ちの装う規範的な⾒せかけに関して、⽪⾁を⽰すことを意味した。この観点からすると、古 典的な枠は本質的に逆説的である。 それ⾃体 が「権威主義的」なのではなく、むしろ、患者 の側のこの想像上の投影が持ちこたえられ、解釈作業のなかで徐々に解かれていくことを 可能にするのである (1947-1997, 1945-1966)。Aulagnier は、未だ翻訳されていない⼀連の 著作 (1968, 1969, 1970, 1977)において、他者からの投影が主体に幾重にも重ねられていく さまを詳細に検討した。彼⼥が指摘したのは、⼼に浮かぶあらゆることを話すようにという 命令は、患者を絶対的な奴隷の位置に置き、お話しロボットに変形してしまう効果を持ちう るのだということだった。このようにして、或いは他の⽅法で、彼⼥は、考えずに枠組みを 当てはめることで疎外が⽣じてしまう可能性を分析した。避けられない「解釈の持つ暴⼒性」 という⾃⾝の概念において、彼⼥は、早期の養育者及び分析家を、「過剰な」解釈の危険を 冒すという逆説的な⽴場に位置づけた。これは警告であり、⼤⻄洋の両岸にいるフランス語 圏の分析家たちは、患者を理解するために無批判に逆転移を使⽤することに関する疑念を 表明することとなった。分析設定の⼀部である、本質的に「誘惑的」なポテンシャル−必要 でもあり乱⽤もされる−に対して、フランスの著者たちは特に敏感であった。 Donnet (2001)は分析している状況analysing situationから 分析の現場analytic site を区 別している。「分析の現場は、分析を提供することで構成されるものの総体 ensemble であ る。そこには、分析家の仕事が含まれる」。そして「分析している状況は、患者がその現場 と⼗分に適切に出会うことから偶然に⽣じるのである」(p.138)。 特に設定に関して現在⾏われている理論化の 2 つの主な起源は、Winnicott (1955)と Bleger (1967)である。Baranger 夫妻 (1983)のフィールド理論の活⽤に⾔及する著者もい る。フィールド理論は分析状況を、共同作業による産物と⾒なす。すなわち、分析的ペアの 2 ⼈のメンバーは切り離せないほどに結び付いており、どちらもが相⼿なくしては理解され
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