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的な ツ ールとしての 逆転移 という 視点 を 予 見しているように 思 われるいく つ かの見 解 を 記 した。 彼 は「分 析 家は受話 器 が 送 話 器 に 順 応 するように 彼 自身を 患 者 に 順 応 さ せ なくてはな らない。 電 気 的振 幅 を受話 器 が 音 波 に 転 換 して 戻 すように、 ・・・ 医 師の 無 意 識 は、 彼 に 伝 達 された 無 意 識 の派生物から、 患 者 の自 由 連想を 決 定 づ けた 無 意 識 を 再 現することができ るのである」と 記 した (1912, p. 115-116) 。さらに 無 意 識 的 過 程に つ いての見 解 を 推 敲 する 中で、 Freud(1915) は分 析 状況における 患 者 の 無 意 識 の力動のみならず分 析 家のそれにも 特 別 な 注 意を 向 けた。 彼 は、 患 者 と分 析 家 の 意 識 的およ び無 意 識 的な 心 的 過 程とは深く 絡 み合 っている という 事 実をはっきりと 知 っていた。 1951 年 に Annie Reich は、このことに関す る 特別 な 側 面 に つ いて、分 析 家にとって、 患 者 は「 過 去 の感情と願望が 投 影 される 過 去 の対 象」を表すようになる (1951, p. 26) と力 説 した。 転移 はどこにでも 姿 を現すのだから分 析 家 たちも 患 者 たちに、 患 者 たちがまさに分 析 家たちに 抱 くであろう 転移 を 持 つ と 思 われる。 ( その感 覚 は 患 者 にとっても分 析 家にとっても大部分が 無 意 識 であるだろう。 ) このことは 『 終 わりある分 析 と 終 わりなき分 析』 (1937b) において 示 された。 Freud はそ の中で、 患 者 の 抑圧 と接 触 し 続 けることで、さもなく ば 抑制 されたままであったはずの 欲 動 の要求が分 析 家の中にいかに 喚 起 されるものなのかということを、そしてこのことがやが ては「 危 機 」 という結 果 にさえなる かもしれないのであって、それ 故 に分 析 家には定 期 的な 自 己 分 析 の 必 要性が生じるものであることを力 説 した (1937b, p. 249) 。それまでの言 明 と 比 べ ると、このことは 明 らかに 患 者 ‐ 分 析 家関係の 異 なる 側 面 、すなわち 患 者 の 無 意 識 への 反 応 はプロ セ ス を、そして 分 析 家の中に 変 化 すら引き 起 こすかもしれないということを 提起 している。 初 期 には、 逆転移 は 主 に分 析 家の 患 者 への 転移 は分 析 家が 冷静 に 患 者 を 評価 することを 妨 げ 、分 析 家の 客 観 性、中 立 性と 臨床 的な 有 効 性を 妨 げ る リ スク として 概念化 された。しか し、 彼 の後の 眺 望においては、それまではこの 主 題 に つ いての自身の 考 えの「その 他 」の 傾 向 として ほ のめかされていたにす ぎ ないものが結実し、 逆転移 は 単 なる分 析 家の 精神 内界 的 intra psychic な力動という 問 題 というだけではなく、 精神 相互 的 inter psychic な 過 程の 結 果 であるとされるに 至 り、後の 発展 を 明確 に 予示 する 視点 となっている。 II. B. より広い 概念 の 基 本的な 輪郭 ( ハ ン ガ リー、 英 国 、そしてアル ゼ ンチンにおける 1920 年 代後 半 ― 1950 年 代 前 半 ) 逆転移 が 治療 を 妨 害 するものから 道 具 になるというパ ラ ダ イム シ フ トは 1920 年 代後 半 に Sandor Ferenczi (1927, 1928, 1932) がト ラ ウ マ をも つ 患 者 に対して、分 析 家の 立場 を む し ろ 参与 する 観察者 として 考 え、分 析 的な中 立 性(そして 禁 欲 性)という 原則 に 挑 戦 したこと から生じ 始 めた。 Ferenczi の教え子でもあり、 翻訳者 でもあった Michael Balint (1935, 1950; Balint and Balint 1939) はその後分 析 治療 の 目 的の「 古 典的な」 記述 と「ロ マ ン的な」
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