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る憎しみも含めて、分析家の憎しみの側面は被分析者の変化に欠かせない要素となる。
Winnicott は( 1 )抑圧の下にあっておそらく分析家による自己分析がもっと必要である ような逆転移感情 ( これらは分析家個人に特有の同一化と傾向である ) と( 2 )「真に客観的な 逆‐転移、 … 分析家の愛と憎しみが患者の実際の性格と行動への反応で、客観的な観察に基 づいているもの」とを区別する (1949, p. 69-70) 。「真の客観的な逆転移」は患者に対する分 析家の感情を指すもので、それらは分析家自身の感情であり、そして — Heimann が後に見 出すように — 分析家の中に患者が投影する結果によるものではない。これらの感情は、従っ て患者の振る舞いに対する反応なのである。つまり患者の「客観的」なあり方への個人的な 反応である。 Winnicott によると、分析が進むためには、分析家のこれらの感情は ― 分析家 に自身の感情であると認識されることによって、そして / あるいは解釈を通じて ― 患者の処 理にまかされることも時には必要だ。 Heimann の観点のように、この考え方は古典的な Klein 派の見解である「投影同一化」 の概念、すなわち患者 / 分析家関係の全体に影響を与える偏在的なメカニズムと考えられて いるものからは異なっている。 Heimann と Winnicott の仕事の影響は第 3 のグループ、英 国におけるいわゆる「独立学派」(第一は現代 Freud 派、第二は Klein 派)に長く影を落と した。この影は、憎しみと 遮られた生命性 という転移の形の深みを探索した Little (1981) か ら、 否認されている 分析家の面を伝えるものとして逆転移への注意深い調律性を促進した Bollas (1983) にまで広がるものであった。 総体として、英国においては、逆転移概念の更なる発展には分岐があった。一つ目の概念 化、すなわち Klein による投影同一化と「 Klein 派」で強調されたことに由来するものは、 それ自体が患者 — 分析家が関係をもつ方法の理解への大きな一歩であった。二つ目の概念 化、すなわち早期「独立学派の伝統」 (Winnicott, Heimann) でのいわゆる逆転移は、分析家 からきたものは分析家のもので、患者からの投影に分析家が反応しているとは自動的にな らないと主張する。逆転移概念のこの違いは、治療における技法の用い方、そして患者のコ ミュニケーションで分析家がどのように考えて作業するかに関連した影響と結果をもたら す。 Racker から始まるアルゼンチン学派で並行してみられた発展は、逆転移の文脈内におい て独自の投影同一化の使用を展開するようになり、 Klein 派の考えと近いものであった。
II. C. 概念の国際的な広がり — 拡大の更なる輪郭 ( 20 世紀後半のヨーロッパ、中南米、そして北アメリカ)
1950 年代半ば以降から、「精神分析の視野の拡大」と共に、逆転移の広義の視点が優勢な 考え方となり、それはますます有益な道具であるとみられるようになった。この 50 年で、
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