IPA 地域間精神分析百科事典

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内容

⽢え ................................................................................................................................................. 2 コンテインメント:コンテイナー‐コンテインド ...................................................................... 16 逆転移 ........................................................................................................................................... 32 エナクトメント............................................................................................................................. 67 設定(精神分析的) ..................................................................................................................... 88

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⽢え

三地域エントリー

地域間コンサルタント:衣笠隆幸(日本、北米)、 Elias M. da Rocha Barros (中南米)、 Arne Jemstedt (ヨーロッパ) 地域間連携共同議長: Eva D. Papiasvili (北米)

Ⅰ . 導入的定義

甘え は、一般的に日常的に使用される日本語の言葉である。それは、 甘える という動詞の 名詞形である。どちらも「甘い味」を意味する形容詞、 甘い から派生している。 甘える は、 「得る」や「獲得する」を意味する動詞「 える 」と 甘い の結合である。それゆえ、 甘える の 元々の意味は、文字通り、甘いものを得るということである。一般的には、 甘える は、寛大 さを引き出し、望んだものを手に入れるために、子どものような、依存的なやり方で振る舞 うことを言う。望んだものとは、愛情、身体的親密さ、情緒的あるいは実際の援助、要求へ の同意といったものである。それは、わがままであることをアピールする行動であり、ある 程度のなじみ深い親密な近接を想定している。典型的には、乳児や子どもが、自分の願望を 認めてもらうために、母性的な人物や世話をする人に愛らしく依存する方法で関わるので あろう。 甘え と 甘える 行動は、なじみのある環境や子ども時代に限らず、日本人の対人間の交流 において見受けられる。これは、親密な個人的友情、カップル関係の親密さ、拡大家族、 同級生やチームメイトのような密着した小グループの中で生じるかもしれない。また、教 師 / 生徒、上司 / 部下、先輩 / 後輩といった仲間のような権力や地位の差のある関係において も認められる。対人関係の状況により、 甘え という現象は、関係性の強さや健全さの意味 を表わすものとして広く受け入れられている一方で、人の未熟さや自分勝手さ、権利の感 覚、社会に対する認識や常識の欠如としてネガティブにも理解されている。 The North American Comprehensive Dictionary of Psychoanalysis において、 Salman Akhtar(2009) は、 甘え を「断続的に繰り返される、文化的に形作られた交流を意味する日本 の言葉であり、そこでは礼儀や形式といった通常の規則が猶予され、人々が互いのために愛 情深い自我の支援を受け取ったり与えたりする」と定義している( p.12 )。この定義は、土 居健郎の( 1971/73 )言葉の定義を元にしており、 Daniel Freeman(1988) によって、自我心

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理学用語を用いて「相互交流における自我のための相互退行であり、両方の参与者の漸進的 な精神内界的成長と発達に資することでそれらを満たすものである」と更に拡張されてい る( Freeman, 1988,p.47 )。日本の精神分析事典の編集者(小此木啓吾、北山修、牛島定信、 狩野力八郎、衣笠隆幸ら 2002 )もまた、土居の定義に基づいており、 甘え の力動的基礎に 含まれる前言語的に根ざした情緒的依存の複雑さを指摘している。 ヨーロッパおよび中南米におけるどの IPA 言語による辞書や用語辞典にも 甘え は掲載さ れておらず、この用語は、今に至るまで、広く精神分析的な関係者にほぼ知られることはな かった。この項目は、上記のすべての出典を元にし、拡張するものである。

Ⅱ . 概念の発展

心理的現象として、 甘え の概念は土居健郎の 1971 年の『甘えの構造』の出版によって紹 介され、強調された。この本は、 1973 年に西洋の読者のために翻訳された。彼は、日本社 会と臨床場面における様々な 甘え の行動を描写した。そして、日本人の心理を理解する中で、 甘え という概念の基本的な重要性についての考えを発展させた。彼は、 甘え を「依存あるい は情緒的依存」と訳した。そして、 甘える を「人の善意に依存し前提とすること」( 1973 ) を意味すると定義した。彼はそれを「無力さと愛されたいという願望」そして「愛されたい という欲求」の表現を示していると考え、それを依存欲求に同等であるとみなした。彼は、 母親に対しての関係における乳児の心理の中にその原型を見る。乳児と言っても新生児で はなく、母親が独立した存在であると既に認識した乳児である(土居 1973 )。後の著作で、 土居( 1989 )は 甘え の力動的定式を拡張している。 「甘え」概念についていま一つ重要な点は、「甘え」は愛されたい欲求が満たさ れて満足する状態を意味するとともに、そのような欲求自体を意味することがで きることである。というのは甘えの満足に必要な相手の協力はいつも期待できる とは限らない。したがって甘えが満たされていない状態を表現するいくつもの日 本語が存在するが、そのような状態をも端的に甘えと称することがある。という のは甘えが満たされている際よりも満たされていない場合の方がはっきり欲求と して認識されるからである。このような「甘え」の語の用法に関連するが、甘え にはたしかな受け手がいる素直な甘えと、そうではない屈折した甘えの二種類が 存在することになる。前者は幼い子供にふさわしく、無邪気で、落ち着いている が、後者は子供っぽく、わがままで、要求がましい。簡単に言えば、いい甘えと

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わるい甘えである。・・・ ( 土居 1989 p.349) (「甘え」概念とその精神分析的意 義)

甘え 、すなわち情緒的依存が、日本人の心理を根本的で独特な方法で区別するという土居 の主張は、熱狂的に受け入れられたが、懐疑的な批判にもあった。次のような議論を引き起 こした。どのような特定の方法で日本人の心理を考えるべきなのか?土居は、日本人の性格 は基本的に依存的だということを提唱しているのか? 甘え という概念は、現行の心理学的、 精神分析的理論や臨床にどのように関係しているのか? 甘え は、普遍的な人の発達の理解 にどのように関係しているのか? 甘え という概念は、精神分析的理解の理論や臨床におい て、具体的にどのような新しい発展に寄与するのか?

Ⅲ . 社会 ― 文化的視点

Erik Erikson (1950) は、人の心理的成長と発達が進行する間、多様で特有な文化社会的 影響が如何に適応状況に異なる結果をもたらすのかを記述した。彼は、フロイトの生物学的 な基礎をもった心理性的発達の段階をエディプス葛藤の解決を超えた、人の発達の心理社 会的段階を含める方へと拡大し、ライフサイクルへと展開した。土居の 甘え の概念と日本人 の心理の特異的な性質を理解するうえでの重要性は、この文脈でも評価される。 多くの社会学者や比較文化的観察者は、日本の社会と日本人の心理的適応の特異性につ いて述べている。土居の 甘え の概念は、この議論に別の観点を加えた。日本の社会と文化に 特異的なものとして記述されたいくつかの重要な特徴は、以下のものを含んでいる。

1.階層構造的に組織化された社会的関係

2.個人の区別以上のグループ志向

3.公私の分離、思考、感情、行為における内と外の関係

4.恥(外の判断によって生じる)と罪(内的な判断の表出)の強調

5.葛藤の回避と調和の重要性

6.乳児期や早期幼児期の寛大で反応の良い、寛容な親の態度の後、後年には、 次第に厳格な社会的役割の割り当てと行動のへ支配が続くこと

Ruth Benedict (1946) や歴史家の Edwin O. Reischauer (1977) のような文化人類学者に

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よって広く認知され、注意深く観察され、海外でもっとも有名な日本の文化人類学者である 中根千枝によって明確に述べられているように( 1970 )、ほとんどの日本人の関係の縦構造 の性質は、偏在している。それに関連し、かつ絡み合って、上記に引用した特徴は、堅固な 政治と社会経済階級の階層化のあった 4 世紀にわたる封建制度の文化的および心理的影響 である。西洋の影響を受けた近代化は 19 世紀後期に始まり、第二次世界大戦後の新しい民 主的な統治の諸制度の確立と政治、経済、科学技術の進歩による大衆生活における多くの社 会の変化によって加速した。しかしながら、精神的底流として、現代日本人の生活における 伝統的文化の価値や特徴は、持続している。 Reischauer(1977) は、日本人の変化への適応能 力について書き記し、東洋と西洋の間の多くの人間的共通性を認めている。 Dean C. Barnlund (1975) は、社会において標準的であると言われている文化的価値の核の持つ凝集 性についてアメリカと日本を比較文化的に分析し、甘えを「文化的無意識」の代表として述 べている。 この観点から 甘え の理解において重要なことは、継続的な身体的親密さ、寛容さ、応答 性、非常に没頭的な母親の世話、子供の周囲に他の世話する人がいるような状況における 子育ての実践である。島国の生活は空間が限られているため、他人と近接していること や、並んで生きる必要があることが、日本の生活状況である。拡大家族だけでなく、隣人 や住んでいるコミュニティに、非常に早期から子供は触れることになる。近所の大人は、 おじさん 、 おばさん 、年長の子どもたちは、 お姉さん 、 お兄さん と呼ばれる。彼らは、子 どもの生活における潜在的な世話人であり、グループに所属するうえでの安全感を促進す る。 Alan Roland (1991) は、日本人の精神に顕著な「家族の自己」という概念と西洋人の 「個々の自己」とを強く対比している。「家族の自己」とは、家族やグループの微妙な情 緒的階層関係に根差している。 Reischauer (1977) は、日本人は、家族というよりもむし ろ、周囲のグループに結び付いていると述べている。このことは、早期からグループの中 に自分の場所を見つけ、それを内在化するという意味での「グループの自己」というもの を示唆しているのかもしれない。 この力動の説明の実例として、七五三という日本の伝統的なしきたりによる祝いが挙げ られる。 2 歳から 3 歳、 4 歳から 5 歳、 6 歳から 7 歳の子供たちは、伝統的な衣装を着 て、地域にある地元神社に連れていかれる。彼らは、子ども時代を通過する集団の祝典 で、プレゼントとしてお菓子やおもちゃをもらう。

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Ⅳ . 甘え概念の精神分析的含意

先に記したように、日本人や臨床的交流における 甘え という特異な現象を表すに当たっ て多くの意味で正確で洞察力のあるものである一方、「無力さにある依存欲求」と「愛さ れたい願望」という土居の最初の 甘え の概念の定義( 1973 )は、多くの理論的および臨床 的議論を引き起こした。発達的には、 甘え は、子どもが言葉を獲得するよりも 先に起こ る 。例えば、母親に積極的に願望を表現する子どものことを、日本人は「この子は、既に 非常に情緒的に依存している( 甘える )」と言ったりする。乳児が母親の存在を求める欲 望を経験し続けると、この情緒的布置が意識的にも無意識的にも彼 / 彼女の情緒生活の核に 位置するようになる。このことは、 Freud が精神分析に独特の「性愛」の概念について述 べたことと比較することができる。「われわれは、 Sexualität 『性愛」という言葉を、ドイ ツ後で lieben 『愛すること』という言葉を用いるのと同じように包括的な意味で用い る」( Freud, 1910 )。この意味で、日本語には、 lieben や love に相応しい言葉は、存在し ないにも関わらず、愛と性が絡み合うエディプス・コンプレックスについて考えるのであ る。類推であるが、「 甘え 」は、エディプス・コンプレックス以前に、われわれの一生を 通じて情緒的生活の主流を形成するし、「 甘え 」という言葉が存在しない日本の外におい てでさえそうであると理解しうるかもしれない。 甘え は、愛のように動詞的概念である が、愛と異なり、それ自身だけでは「性愛」を含まないという事実によって特徴付けられ る。加えて、 甘え の要素は、アンビバレンスによって強調されるような様々な心理的状態 に含まれていると言える。もしそうであれば、 甘え を様々な既知の精神分析的概念と比較 することは、有用かもしれない。 Freud は愛には二つの流れがあると述べている。すなわち、情愛的潮流と官能的潮流であ る。「これらの潮流のうち情愛の潮流の方がより古い。これは幼児期のもっとも早い時期に 由来し、自己保存欲動の利にもとづいて形成され、家族や世話を務めてくれる人物に向けら れる・・・」( Freud, 1912, p.180 )これは甘えの自己保存的、本能的土台に対応する。そこ から生じる情愛的潮流は後にナルシシズムの概念に吸収された (Freud, 1914) 。ここで Freud は、一次的ナルシシズムは直接の観察によっては確かめられないけれども「それが実 はとうの昔に手放された親たち自身のナルシシズムの再活性化であり再現であること は・・・自分の子供に情愛をもって接する親たちの態度」から知ることができると書いてい る (Freud, 1914, pp.90,91) 。 Freud(1930) は後に自己保存本能という概念を廃止し、情愛を エロス(生の欲動)の現れとし、その元の目的は抑圧されるという結論に至ったのであるが、 土居は 甘え を Freud の初期の本能論に従って自己保存本能に対応すると提案し、 甘え を本 能由来の依存欲求と定義した。

付け加えるならば、 Freud(1921) は同一化を他者との情緒的繋がりの最も早期の表現であ

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り、最初からアンビバレントであると見ている。そう定義するならば、 Freud の同一化は 甘 え の根底にある一体性とアンビバレントな特性に一致するであろう。 その概念をさらに対象関係の中で練り上げ、土居 (1989,p.350) は 甘え は初めから対象関係 的であると何度も繰り返している。 甘え は Freud の一次的ナルシシズムという概念とはあ まり一致するわけではないが、それは「ナルシスティックと言われる精神状態が何であれ、 それに非常によく合致している」(同 , p.350 )。この意味で、 甘え のナルシスティックな特性 は、子供っぽくて我儘で要求がましい「屈折した」 甘え の基礎をなしている。土居 (1989) は 次のように述べている (1989) 。「同じような理由から、コフート Kohut,H. が『ナルシスティ ックなリビドーによって備給されている太古的対象』 (1971,p.3) と定義した自己-対象と いう新しい概念は、 甘え の心理学に照らすと理解しやすくなるだろう。なぜなら、『ナルシ スティックなリビドー』とは屈折した 甘え に他ならないからである」 ( 土居 ,1989, p.351) 。 この意味で日本の分析家は Kohut の「自己-対象への欲求」という概念をほとんど 甘え に 等しいものと捉える。また Balint が「治療の終結期には患者がこれまで忘れていた幼児的 本能的欲求を表現するようになり、周囲によって満足させられることを求めるに至る」 (Balint,1936/1965,p.181) と述べているのも、これに関連している。なぜなら、「素直な 甘え はナルシスティックな防衛が充分に解決されて初めて出現する」(土居 ,1989;p.350 )からで ある。 Freud と Ferenczi の両者の上に築かれたために、「受身的対象愛」と一次愛についての Balint(1936/1965) の考えは概念的に 甘え にもっとも近いものである。 Balint はインド-ヨ ーロッパ諸語は能動型と受動型という 2 種類の対象愛を明確に区別しないと考えた。その 目的が最初は常に受け身(愛されること)であっても、もし欲求不満を鎮めるために環境が 子供に与える愛と受容が充分であれば、その子供はそれを受け取るために能動的な「与える 愛」に進むだろう(「能動的対象愛」の形)。臨床の言葉で言うならば、素直な 甘え と Balint の「良性の退行」の間、及び屈折した 甘え と彼の「悪性の退行」の間には、関連がある。 Fairbairn(1952) は概して早期の発達における依存の事実に重きを置いているが、彼は対 象関係体系の中に依存欲求という考えを採用しなかった。 Klein の羨望(ひがみ)や投影同 一化( 1957 )の概念は、同じ対象を共有しつつも、ねじれた 甘え とみることができる。 Bion(1961) が3つの基底的想定グループの幻想、すなわち依存、闘争-逃避、つがいに関連 したそれぞれの情緒状態における安心感を集団力動の中で想定する時、多くの日本の分析 家は Bion は土居の 甘え を「予言」していたと見る。同様に、 Bion の「コンテイナー container 」 と「コンテインド contained 」の概念、 Winnicott の「抱えること holding 」、 Hartmann の 「適合 good fit 」、 Stern の「間-情動性 inter-affectivity 」は、 甘え と基本的な概念上の類 似を示している。それらは、親に対する乳児の生来備わった依存という異なった視点から考 えられたものであるが、精神分析過程の中での転移 - 逆転移の間-主体的マトリックス

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inter-subjective matrix にとって臨床的な意義を持つものである。

V. さらなる発達論的精神分析的パースペクティヴ

発達論的力動的観点からは、次のことを強調することが重要である。すなわち、土居 (1971) は 甘え の起源は乳児の母親への関係性の中にあると見ているが、それは新生児の時にでは なく、乳児が自分の独立した存在に気付き、母親を欠くことのできない満足の源としてみな すようになった時だと考えている、ということである。このことが示しているのは、認知・ 判断・同一化のような自我の分化がすでに起こり、対象恒常性が存在している発達段階にお いて 甘え が生じるということである。それは、 Mahler(1975) の分離-個体化期の真っ最中 であり、共生期と練習期を無事に通り抜けたことを示している。母親は別の人として存在し、 母親の子供に向ける優しく寛大な喜びが内在化されている。 もしこの通りであるならば、超自我という心的構造も現れつつある途上にあることにな る。(日本で)広く行われている日本人の子供のしつけ方は、この見方を支持しているよう に思われる。非言語的で共感的な応答性と情緒的のみならず身体的にも近い有り余るほど の母性的世話は、子供の発達における共生期及び分離-個体化期を満足のいくように通過 することのために役立てられる。乳児研究 (Stern,1985) および自己心理学の進歩も、近年、 成長を促してゆるぎない自己感をもたらすこの親の取り組みを支持している。 Gertrude と Rubin Blanck(1994) の発達の図式的概要では、 甘え は攻撃欲動の中和の過 程において生じるように見える。そしてこの間に 甘え は分離個体化が活発に進行していく のに役立つ。トイレット・トレーニング、体の働きを制御する能力、男根的自己主張の表出 が始まると、超自我の発達による攻撃欲動の緩和が起きる。この典型的な西洋の筋書きと比 較して、 Reischauer(1977) の観察によると、日本人の子供のトイレット・トレーニングや行 動に対するしつけは、手本・励まし・注意により継続的で常に優しい配慮や世話を伴って行 われる。これらの方法は、攻撃欲動を緩和し外界の期待に応えるために個人的欲求を断念す る中で、世話をする人に子供が同一化することを促進し、このようにして違った道筋をたど って超自我形成に至る。それでもなお、どんどん複雑になりしばしば拘束的な世の中の規 則・役割・調和への要求・服従などは、適応するには困難な文化的価値観となり、まだ脆弱 な個人の精神にかなりの重圧を課する。外部の審判による恥や、愛情のこもったつながりが 撤去されるという脅しが、子供の個人的欲求を放棄して超自我の要求への追従に駆り立て るように利用されるかもしれない。

超自我とイド要求の葛藤的交渉の中で、発達の最接近期への退行が起きるかもしれない。

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そこで子供は個人の独立した道に再び前進していく前に、共生的な母性的快適さというつ かの間の安心感を探し求める。 Akhtar(2009) も Freeman(1998) も共に 甘え の機能の情緒的 燃料補給の側面を記述している。 Freeman が一時的で断続的な思慕としての 甘え を観察し たことと、 甘え の相互作用における相互の利益を彼が強調したことは、この仮説を支持して いる。 甘え の相互作用の相互性についての彼の観察を拡げると、 甘え は「依存している」側 によって、主としてもう一方の側の利益の為に始められることがあるということもまた理 解されるべきである。たとえば、 甘える人 は不安そうな母親が子供によって安心させられる 必要性を意識的にも無意識的にも感じているかもしれない。なぜなら、分離していきたいと いう子供の欲求は母親にとって拒絶と捉えられるかもしれないからである。 甘え はまた、自 信がない上司が迎合的な部下に対して力を感じようとするニードにも合致するかもしれな い。あるいは、年取った親が成長した有能な子供に対して自分の価値を経験したい欲求の時 にも当てはまるだろう。ついでに言えば、時には「友好的な」 甘え の態度は、それらしく依 存的な態度で表現された挑戦的で攻撃的な要求を偽装しているかもしれない。これは、土居 (1989) の「陰性の / 屈折した 甘え 」で述べていることに一致しているだろう。 「愛されることへの無力な願望」という土居 (1971,1973) の元々の 甘え の定義は受け身性 を強調しているが、この受け身的な面はそれ自体複雑である。土居 (1971,1973,1989) と同じ ように Balint(1935/1965; 1968) は 甘え を一次的な生物学的基本的欲求であり愛への渇望と 見た。そして、 Bethelard と Young-Bruehl(1998) は土居の 甘え を欲しいままに愛されるこ とへの期待と考え、彼らはそれを大事にされること cherishment と呼び、本能に根差し出 生時から生じるとした。彼らは土居がしたように、 甘え に関して自己保存自我本能仮説の再 考を提案した。能動的関与に関する乳児のより大きな能力を示している最近の乳児研究に 照らして、 甘え に関しての「受動-能動」の範囲はさらなる研究を必要とするだろう。 甘え という文脈では、行動として観察されるこの能動性は、たとえば Bowlby(1971) の愛着研究 に見られるように、内的体験を反映したものであり、その行動的な表れが愛着なのである (土居 ,1989 )。我々は次のように仮定することができるだろう。すなわち、精神分析的には 甘え は層をなした概念を提供しているのであって、その概念は、受動的に愛を受け取り、ほ しいままにするための、能動的な本能的 / 情動的努力を描いているのだ、と。 「願望-欲動」としての 甘え という土居の定義に替わるもうひとつのものは、洋の東西を 問わず他にも確かに存在するものの特に日本人の心理においてはよく見られるような特定 の形の防衛としての 甘え を再定義することであろう。そのように考えると、我々は 甘え を自 我の防衛作用として見ることができるだろう。すなわち、超自我の要求とイドの要求を調停 しながら我儘を許してもらおうとする懇願として、或いは、ライフサイクルのどの発達段階 であれ、個人的願望としてである。この形式の自我の防衛は、超自我への硬直した服従を要 求する厳しい社会に適応するためにおそらく必要なものである。階級的関係的秩序と集団 志向、規則・役割・行動の厳守、個人的な意見や感情を秘密にすること、葛藤を恥として解

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決すること、これらはすべて、封建社会に起源をもつ超自我形成に対処するための方法であ るように思われる。こうした硬直した或いは過酷な超自我の要求に応えるために、 甘え は 「許し」-「寛大さ」-への「甘い」理解を求めて、個人の攻撃欲動に対する、あるいは対 象を失うかもしれないという不安に対する必要な防衛として、非言語的で情緒的なコミュ ニケーションと共感的な反応に頼る。 甘え という自我の調停が個人の感情生活に場所を作 り、リビドー的なものであれ攻撃的なものであれ、個人の人間的欲求の表出に道を作る。 甘 え は、共感的反応で子供の情緒的欲求や願望を感じる能力を持った寛大な養育者との前言 語的な体験への同一化に起源を持つ。これはおそらく「普通に献身的な母親」を特徴づける 「母親の原初的没頭」という Winnicott(1965) の概念に類似している。この文脈において、 自我関係性(抱えること、やさしさ、共感)を提供する環境としての母親と、イド衝動 / 欲動 が向かう対象としての母親との Winnicott の区別は、 Freud の初期の愛の情愛的潮流と官 能的潮流との区別に対する対象関係論的観点からの表現を示していると思われる。 甘え 及び 甘える 行動を用いた交流は、抑圧・退行・部分的退行・打消し・反動形成・「相 互の秘密」或いは昇華への小道といったような様々な防衛作用の中に整理することができ る。 この防衛-適応としての定式化の中でも、「相互性」の概念が発達的・関係的・転移的に 甘え の中に含まれている。 Hartmann(1958) の乳児と母親の適合 fitting together の概念、 Winnicott(1965) の「抱える環境 holding environment 」という考え、 Bion(1962) の「コン テイナー / コンテインド container/contained 」概念、 Kohut の「自己-対象 self-object 」 (1971) 、 Stern(1985) の「間情動性 inter-affectivity 」もまた、同様に当てはまるだろう。 甘 え の行動は、個人の願望や欲求が文化的-超自我的制限と衝突する時にはいつもライフサ イクルを通して作用していると言える。

Ⅵ . 結論

以上から、 甘え の行動や態度は単なる依存欲求の現われとして見ることはできないとい うことになる。欲動 / 願望と防衛の形という両者が文脈によって複雑に置換される中で 甘え を見ることが有効である。この複雑な見方は特に転移における相互作用に当てはまる。臨床 における二者関係での 甘え の出現は、臨床家に対する信頼と誠実さの増大という陽性転移 を示すだろうし、それは治療同盟に資するだろう。患者に精神分析療法を求めさせる意識的 動機が何であろうとも、その根本の無意識的動機は 甘え のそれであり、やがて結局は 甘え が

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転移の核となると土居 (1989) は考えた。けれども臨床家は、特に日本の臨床状況に固有の(或 いは、どんな精神分析設定においてもだが)転移の階級的性質に気付く必要があり、もし 甘 え が基本的欲求・本能的努力・防衛過程、或いは複雑な発達論的 ― 力動的布置として概念化 されるならば、「陽性」と「陰性」の両方の非言語的或いは間接的交流に敏感に反応する必 要がある。同様に、日本人の患者の集団志向は、西洋文化において簡単に現れるように、境 界や個体化の欠如として単純に理解することはできない。 甘え 概念の発見は特定の日本的状況に帰するけれども、それは文化をまたいで様々な程 度に見られ得る。集団心理学の文脈の中では、 甘え はそこにいる各個人の欲求に複雑に関係 し、その集団設定に属している。発達的及び臨床的には、早期の母性的補給・コンテイニン グ・抱えることの影響は 甘え の中に認められる一方、 甘え の内的な相互作用的力動は個人の 全生涯に及ぶ(土居 ,1989; Freeman,1998 )。 土居の 甘え に関しての発展性のある寄与は、特定地域の発達的及び臨床的日本の概念で ありながら世界に広がりを持つものとして認められる必要がある。それは地理的境界・精神 分析文化・個人の条件を超えて理論的流暢さと臨床的感受性を豊かにするだろう。

参考文献

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各地域の顧問と貢献者

北米: Written collaboratively by Takayuki Kinugasa, M.D. and the members of the Japan Psychoanalytic Society; Nobuko Meaders, LCSW; Linda A. Mayers, PhD; Eva D. Papiasvili, PhD, ABPP

ヨーロッパ: Reviewed by Arne Jemstedt, MD, and the European Consultants

中南米: Reviewed by Elias M. da Rocha Barros, Dipl. Psych., and the Latin American Consultants

地域間連携共同議長: Eva D. Papiasvili, PhD, ABPP

追加特別編集補助: Jessi Suzuki, M.Sc.

国際精神分析学会地域間精神分析百科事典( The IPA Inter-Regional Encyclopedic Dictionary of Psychoanalysis )は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-NC-ND が付けられて出版許可されています。中核的権利は著者ら( IPA と IPA 会員寄稿者)にあ りますが、非営利的使用、全出典が IPA ( こ の URL www.ipa.world/IPA/Encyclopedic_Dictionary の参照も含みます)にあること、模倣や編集 やリミックスの形式でなく逐語的複製であること、などの条件で他者も素材を使用するこ とができます。各用語についてはこちらをクリックしてください。

訳出:鷺谷公子、中甫木くみ子(訳)、吾妻壮(監訳)

訳出:清野百合、原田康平(訳)、吾妻壮(監訳)

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コンテインメント:コンテイナー‐コンテインド

三地域エントリー

地域間コンサルタント: Louis Brunet (北米)、 Vera Regina Fonseca (中南米)、 Dimitris-James Jackson (ヨーロッパ) 地域間連携共同議長: Eva D. Papiasvili (北米)

Ⅰ.定義

コンテイナー‐コンテインドという Wilfred R. Bion の概念は、母親-乳児間の養育状況 という観点から分析的カップルの状況を類推するためのものであった。この概念が示すの は、母親は、なだめたり授乳したりすることの提供者であるのみならず、乳児の情緒的苦痛 を受け取り、乳児のためにその苦痛を和らげて等身大の取り扱いへと戻すことができる受 容器官でもある、ということである。 Bion の観点からは、大体においてそれは、 O (名づけ ようのない恐怖という意味において)から K (知識)へと苦痛を変形することを意味する。 「この考えられないものについて、今や私は考えることができる!」というように。 理論の進展という視点からいうと、この概念は、投影同一化(投影同一化 PROJECTIVE IDENTIFICATION の項を参照)の理論が、原始的空想と防衛の理論から、考えることの発 達に必要な、伝達/コミュニケーションの原始的形態の理論へと拡張したことを表す。 精神機能に関する関係性のモデルとして、コンテインメントの過程は、コンテイナー‐コ ンテインドというペア間の直線的で互恵的な相互作用を、次のような手順で拡張する。ある 精神状態(「内容 content 」)が送り手から受け手へと伝達される;受け手はそれを潜在的に 「包含/コンテイン」し、心的作業を通して変形する;その変形された内容は、「コンテイ ンする機能」そのものとともに、送り手によって恐らくその後再び取り入れられる。 発達的観点からのこのモデルの原型は母親-乳児関係であるが、この概念はまた、精神分 析過程においてはもちろん、二者間の関係や集団のいずれにおいても生じるある種特別な 無意識的コミュニケーションにも、適用できる。それはまた、精神内的過程 ― そこにおいて 人は、自身の情緒をコンテインし、転換/変形し、そして言葉で伝えようとする ― を理解す ることにも、適用される。

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臨床状況においては、コンテインメントの過程は、精神分析過程を理解することにとって、 そして考えること/象徴化することの発達にとって、特別な意義を持つ。技法的にはそれは、 乳児/患者の叫び、あるいはその他の苦痛の表現に黙って耐える以上のことを意味する。コ ンテインメントは、可能なときにはその苦痛に対処するなかでそれを同定し、変形し、解釈 することを伴う。 以上の多次元的な定義は、三大陸に及ぶ地域の辞書や百科事典を反映し、それらから推定 し、そしてそれらを拡張している (Lopez-Corvo, 2003; Skelton, 2006; Auchincloss and Samberg, 2012) 。

Ⅱ.本概念の起源

本概念は、 1940 年代の英国における、統合失調症(精神病性の思考障害)に関する臨床 研究に根差している。そうした研究は、 Melanie Klein と彼女の後継者である Herbert Rosenfeld 、 Hanna Segal 、そして Wilfred R. Bion によってなされた。(本用語はまた、 戦時中に戦車隊司令官だった WR Bion の経験にも恐らく結びついている。軍事用語とし てのコンテインメントの含意は、戦場において戦闘を必ずしも根絶するのではなく制限 し、最小化し、そうしてより扱いやすくするということである。) Klein の「分裂的機制についての覚書」 (1946) では、統合失調症の病理の固着点が乳児 生活の原始的で早期の相 ― 誕生から 3 か月までであり、彼女が「妄想 - 分裂」ポジションと 呼んだもの ― にあるという彼女の見解が明らかにされている。このポジションにおいて は、部分対象関係、迫害不安と絶滅不安、そしてスプリッティングや投影同一化および否 認と万能感などの原始的防衛機制が活発である。 Rosenfeld (1959, 1969) は、自身の臨床研 究 (1950 - 1970) において投影同一化の理解を特に深めた。患者の乳児的で原始的な世界 における過程を彼は明らかにした:患者は内的対象、部分対象そして自己の葛藤的部分を 対象 ― 母親の乳房と体/治療者 ― へと投影し、対象を通してそれらに対処しようとする。 その後それらを再び取り入れることで自己の一部とし、そしてそれらに同一化する。この 投影と再取り入れの過程が、コンテイナー‐コンテインドに関する Bion の研究の基礎部 分となった。 コンテイナー‐コンテインド理論が最初に言及されたのは、 Bion の 1950 年代の著作、 とりわけ「統合失調症的思考の発達」 (1956, Bion, 1984 に収録 ) 、「精神病パーソナリテ ィの非精神病パーソナリティからの識別」 (1957, Bion, 1984 に収録 ) 、「幻覚について」

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(1958, Bion 1984 に収録 ) 、「連結することへの攻撃」 (1959) においてであった。 Melanie Klein の投影同一化に関する理論 (Klein, 1946) の範囲内で乳房に対する赤ん坊の関係に言 及しつつ、彼は、新生児が体験する崩壊や死の不安に向き合うには、母親/乳房と赤ん坊 の間の適合がいかに重要であるかを強調する。情緒に向き合いそれらを修正して情緒的に 知ることを可能にするとなると、コンテイナーである乳房が申し分なく存在していること が鍵となる。こうして、自我の原始的な防衛という投影同一化の概念についての Bion の 定式化は、コンテイナー‐コンテインドモデルに暗に含まれる、標準的な発達の現実的な 投影同一化という叙述へと進展していく。

Ⅲ.コンテイナー‐コンテインド(コンテインメント): Bion における概念の進展

1959 年の論文「連結することへの攻撃」 (Bion, 1959) において、 Bion は、投影同一化を 頼りに自身のパーソナリティの諸部分を分析家へと排泄する、ある精神病患者との体験を 叙述した。患者の観点からすると、もしもそうした諸部分が十分に長く分析家のなかに留 まることを許されるなら、それらは分析家の心による修正を受け、そののちに安全に再取 り入れされうる。自らの投影物を分析家があまりにも素早く排泄してしまい、つまりは諸 感情が修正されなかったと患者に感じられたとき、いかにして患者がそれらを、更に死に 物狂いで暴力的に分析家へと(再)投影しようとすることによって反応したかということ を、 Bion は叙述している。この臨床過程を、 Bion は、患者のある体験 ― 乳児の投影物を 取り入れることに耐えられずに乳児から投影された恐怖をコンテインしなかった母親との 体験 ― と結びつける。 Bion は次のように示唆している。「理解ある母親は、この赤ん坊が 投影同一化によって対処しようと懸命になっていた恐怖という感情を体験することがで き、そしてそれでもなお、バランスのとれた見地を保つことができるのである」 (Bion, 1959, p. 103-104) 。 1962 年には、著書『経験から学ぶこと』および論文「考えることに関する理論」におい て、 Bion (1962, a, b) はこうした考えをさらに発展させ、母親が乳児から投影される強い 恐怖を取り入れてコンテインするときの母親の受容的な心の状態を、もの想い reverie と 述べた。母親のもの想いというアイディアを投影同一化のアイディアに加えることによっ て、 Bion は、環境がいかにして原初の関係を通して精神内的発達に影響を及ぼすのかとい うことを含めている。もの想いとは、子どもによって投影されるものに母親が無意識的に 同一化して応じる、その受容的な精神状態を指す。母親のもの想いを通して、子どもが何 を伝達しようとしているのかについての新たな理解を、母親は創り出す。母親は、 Bion が

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ベータ要素と呼ぶものをアルファ要素へと変形し、アルファ要素はそののちに子どもへと 再び伝達されうる。これが、コンテイナー‐コンテインドモデルの第一の定義となる。具 体的には、この過程は以下のステップを伴う:第一に、母親はもの想いの状態で、乳児に は耐えられない諸側面 ― 空想の中で彼女へと投影されてきた、乳児の自己、対象、情動、 そして未処理の感覚体験(ベータ要素)のそうした諸側面 ― を、受け取り、取り入れる。 第二に、ニードがある限り、彼女は自身の心と体へのこれらの投影物による全影響に耐え なくてはならない。それはそうした投影物を考え理解するためであり、 Bion が変形と呼ぶ 過程である。次に、赤ん坊の体験をこのように彼女自身の心で変形したので、彼女はそれ らを乳児へと徐々に戻すのだが、それは解毒され消化可能な形で、そして(こうしたこと がその子にとって役立つであろうときに)彼女がその子を扱う際の態度ややり方のなかで 実際に示されつつ、なされなくてはならない。分析においては、 Bion は本過程のこの最後 の部分を公表 publication と呼んでおり、それは私たちが一般に解釈と呼ぶものである。 「コンテインする」能力があると想定される母親とは、境界を持ち、そして自身の乳児と の関連で受けとる不安ばかりか自分自身の不安をも収容するのに十分な内的空間を持つ母 親、すなわち痛みに耐え、じっくりと思い巡らせ、考える能力、そして自らが考えること を乳児にとって意味のあるやり方で伝える能力が十分に発達している母親、である。自身 が独立し、損なわれておらず、受容的で、もの想う能力があり適度に寛大である母親は、 このように「コンテインする」対象として取り入れるのに適しており、長い時間をかけて 少しずつ乳児がそうした対象に同一化しそれを吸収することで、心的空間が増大し、意味 を作る能力が発達し、そして自ら考えることのできる心が進展し続けていく。これが、 Bion がアルファ機能と呼ぶようになったものである。 1963 年の『精神分析の要素』において、 Bion は、コンテイナーとコンテインド ―♀ と ♂ という抽象的な記号で示される ― の間の力動的な関係が精神分析の第一の要素であると見 なす。ここでの ♂ (コンテインド)には貫く性質があり、 ♀ (コンテイナー)には受容的 な/受け取る性質がある。この文脈において、 ♀ と ♂ は特定の性的な意味に限定されず、 いかなる特定の性的な含意もない。それらは変数もしくは未知数を表す: ♀ と ♂ の機能は あらゆる関係の中に存在しており、性別から独立している。 ♂ (コンテインド)は ♀ (コ ンテイナー)を貫き、 ♀ は ♂ を受け取りそれと交流し、新たな産物を創り出すこととな る。 ♂ - ♀ という象徴を用いることで、心の生物学的な性質が強調され、そしてまたセクシ ュアリティやエディプス的布置に関する Freud と Klein の概念も含まれる。のちの著作に おいて Bion は、この二者( ♂ と ♀ )の間の互恵性、成長への潜在能力、そしてこの二者間 の交換を強調している。コンテイナー‐コンテインドの力動的な関係のパラドックスは、 その互恵的な相互性にある。即ち、コンテインするものとコンテインされるものが、互い にコンテインしコンテインされるという機能を果たしもする。これは発達的には、赤ん坊 の不安に対するコンテイナーとしての乳房は、その逆でもありうるということを意味す

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る。即ち、母親のパーソナリティのある側面に対するコンテイナーとしての赤ん坊、であ る。 のちには臨床的な文脈の中で、この互恵性は強調される。「あるときには分析家を ♀ そし て被分析者を ♂ とし、また次の瞬間には役割を逆転するという動揺を観察することの中 に、糸口がある … 」 (Bion, 1970, p.108) 。 至るところで Bion は強調しているが、「コンテインすること」は、思考を形成しそれを 言葉へと変形することを可能にする活動や過程を含む。これは、コンテインすることや受 け取ることを単に受身的な受容性へと矮小化し制限して使用することとは反対である。変 形の複雑さおよびその多くの相や過程を十分に明らかにすることが、彼の 1965 年の著書 『変形:学びから成長への変化』の核心である。ここで Bion は、「 O 」というメタ理論的 概念を、多角的な変形過程の起点であり同時に潜在的な終点として導入する。それに含ま れるのは、考えることのできない「名づけようのない恐怖」、「ベータ要素」、「もの自体」 であり、そしてまた、「究極の現実」、「敬愛」そして「畏怖」である (Bion, 1965; Grotstein, 2011a, p. 506) 。 コンテイナー‐コンテインドは Bion の演繹的科学体系 ― 思考及び考えることの理論 (Bion, 1962a, 1962b, 1963, 1965, 1970) ― の一部分であるので、それをこの文脈に据える ことは重要である。この幅広い理論によると、「思考/考え」と「考える装置」には別々 の起源があり、「思考」は考える装置とは独立して存在する。つまり、「思考」は考える装 置によって生み出されるわけではない。両者においてコンテイナー‐コンテインド関係は 決定的に重要であり、従って、コンテイナー‐コンテインド関係は心的生活の胚 embryo と見ることができる。 この理論によると、「思考」が生成する過程において、コンテイナー‐コンテインド関 係がその最初の一歩となる。心的内容(情緒、感覚知覚)が精神的な質 mental quality (表象、思考)を持つに至るための条件は、心的内容をコンテインすることのできるコン テイナーが存在することである。この機能の原型となる対象(「コンテイナー」、 ♀ で表記 される)は、母親の乳房、現実化されることを待つ生得的な前概念である。感覚的及び情 緒的な刺激(「内容」)はこの適切な「コンテイナー」と対になることで「コンテインド」 ( ♂ で表記される)へと変形し、こうして「コンテイナー‐コンテインド関係」を創り出 す。考え手 thinker によって思考が最初に発達する瞬間である。このコンテイナー‐コン テインド関係( ♀ - ♂ )によって情緒体験の発生が可能となるが、その情緒体験はそれに質 を与える結合 ― L (愛 love )、 H (憎 hate )、 K (知 knowledge, thought ) ― によって特徴 づけられるであろう。意識からの注意を得ると、この情緒体験は、アルファ機能の働きを 通してアルファ要素 ― 心的生活のモナド【訳注:それ以上分割できない単一な実体。哲学 者ライプニッツの案出した概念】 ― へと変形されうる。

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「思考」が出現することで、それに対処するための装置が創出されざるを得なくなる。 2 つの基礎的なメカニズムがそのために結び付く。つまり、コンテイナー‐コンテインド ( ♀♂ )と、妄想 - 分裂ポジションと抑うつポジションの間の力動的関係⦅ PS ↔ D ⦆であ る。 コンテイナー‐コンテインドモデルは、正の成長(+ K )もしくは負の成長( − K )にお ける因子として、思考の進展にも対処する。心の成長を考えると、この関係において ♂ と ♀ は相互に依存しており、お互いのためになっていて、どちらの側にも害を及ぼさない。 Bion が 1962 年に共存的結合と名づけたものの特徴である。モデルで見るなら、母と子は 心の成長という点で、恩恵を被る (Lopez-Corvo, 2002, p.158) 。子どもはこの二人組の間 での活動を取り入れるのだが、それは、 ♀ / ♂ (コンテイナー/コンテインド)関係がそ の子自身の中に据えられて、生涯を通して生じるであろう心の問題に取り組むために人格 がより複雑で創造的になることを促進する機能が発達できるようなやり方で、取り入れる のである。 Bion が Elliott Jacques (1960) の「まとまりのある網状組織 integrative reticulum 」を 用いて組み立てたモデルでは、「その間隙は袖で、網状組織の編み目をなす縫い糸は情動 である」 (Bion, 1962, p. 92) 。網状組織はまた、未知のものに対するある程度の寛容さを必 然的に含む過程を通して、成長しつつある ♂ 「内容」を受容する[形を成していく袖は、 未だ内容を待っている]。他方、学ぶことは、弾力性を増しながらまとまりを保つ ♀ の能力 ― 胎児の成長に合わせて拡張していく子宮に大変似ている ― にかかっている (Sandler, 2009) 。 『注意と解釈』 (1970) において本概念を再検討するなかで、 Bion はコンテイナーとコン テインドの間の結合(愛、憎、知)という以前の定式化 (Bion, 1962) を脇へ置き、コンテ イナーとコンテインドの関係を強調する新たなアプローチを提示する。ここでは 3 タイプ の結合はそれぞれ、共存的、共生的、寄生的という特徴を持つ。「共存的」で彼が意味す るのは、 2 つの対象が第三者を共有し、それが三者すべての利益になるような関係であ り、例として、コンテイナーとコンテインドが属する文化の諸原理が挙げられる。「共生 的」によって彼が理解するのは、相互の利益のために互いに依存するような関係である。 この種の関係では、投影同一化がコミュニケーションとして使用され、コンテイナーがこ れを両者のために新たな意味へと変形する。「寄生的」によって彼が意味するのは、互い に依存することで第三者を生み出すが、それが三者すべてに破壊的であるような関係であ る。その場合には、投影同一化は爆発してコンテイナーを破壊する。コンテイナーもま た、内容にとって破壊的である。コンテイナーはコンテインドから貫くという性質を剥ぎ 取り、内容はコンテイナーからその受容的な性質を剥ぎ取る (Bion, 1970, p. 95) 。

破壊的な結合が示唆するのは、コンテイナー/コンテインドの失敗である。発達的に

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は、あまりにも強い攻撃性や羨望の気質が赤ん坊にあるとき、あるいは欲求不満を引き起 こす体験における不安や恐怖に対するその子の耐性が低いときに、たとえ母親に通常のコ ンテイナー機能があっても成長を十分に促進できないことがある。母親が返す応答や行動 は赤ん坊が不安や恐怖を和らげるのに十分ではなく、赤ん坊が母親のコンテイニング機能 を取り入れて同一化し、それを自分自身の一部とすることが困難となる。反対に、たとえ 赤ん坊の気質が正常であっても母親のコンテイニング機能が不十分であるときには、赤ん 坊から投影されている不安体験を母親が十分に理解し把握することはできない。そのよう な状況では、母親が赤ん坊に戻すものはまとまりがなく、意味は混乱しており、それゆえ 赤ん坊はその子自身の意味ある体験としてそれを受け取ることができない。 このように、成長を促す+ K と並行して、 ♂ 記号であるコンテインドと ♀ 記号であるコ ンテイナーの間の共生的あるいは寄生的関係を示唆する − K が存在する。こうした関係は 情緒状況に対処するまた別の方法であり、思考やその結果成生じる成長とは対立するであ ろう。すなわち、相互破壊に至るかもしれない関係である。 コンテインメントという概念を社会システムに適用する際に Bion が述べたのは、集団 (もしくは固定化された社会秩序、体制)と神秘家 ― 新しいが潜在的には状況を不安定に させるアイディアを集団へともたらす個人 ― の間の葛藤であった。新しいアイディアを象 徴する個人は集団の中にコンテインされる必要があるが、これによりその新しいアイディ アは集団によって押しつぶされるか、あるいは集団がその圧力のもとに崩壊するかのいず れかが起こりうる。 − K の出現とともに羨望と恐怖感の存在が認められるが、これらは断固として協力し、 心的生活の Bion モデルには欠かせない思考や必須である創造性を発達させないようにす る。 − ( ♀♂ )( マイナスコンテイナー - コンテインド ) の布置がもたらすのは、道徳性の膨張と 「超 - 超自我 super-superego ― なかったことにして学びを消し去ることの道徳的な優位性 や、あらゆることについて欠点を見つけることの利点を主張する ― 」 (Sandler, 2009, pp. 262-263) なるものの出現である。 この文脈で、次のことに注目するのは興味深い。すなわち、 1970 年の著書『注意と解 釈』において Bion は修正したコンテイナー - コンテインドに言及し、初め破局的変化 ― そ こでは、双方の要素がともに広がっていく ― として提示した。 1970 年に発表された『注意と解釈:精神分析と集団における洞察への科学的アプロー チ』においてビオンが自身の理論体系をまとめ上げてさらに展開したとき、「コンテイン メント」への寄与はささやかに見えたものの、それは革新的に精神分析を新しく組織する 重要な概念となった。それによって分析家とセラピストは「両陣営から」、乳児 - 母親間の 情緒的で前言語的なコミュニケーションについて、共通語で話すことが可能となった。 L

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(愛) H (憎) K (知) ― これらはコンテイナー/コンテインドに奉仕したり相互に作用し 合ったりするものだった ― の機能を改造することともに、「コンテイナー/コンテインド」 によって、 Bion は心の地形の頂きへと至る大変新しい道を切り開いたようだった。 それまで、自己内部においても自己と対象の間においても、生じてくる交流の性質は取 り入れと投影(のちには取り入れ同一化と投影同一化)の作用に限られていた。後者2つ の機能はそれに続くあらゆる防衛機制の発達的な前駆体であり、精神分析の一者モデル ― 精神内構造は主体の諸表象のみから成るとされていた ― の限界を示していた。 コンテイナー/コンテインドにおいて、 Bion は母親と乳児の間の基本的なコミュニケー ションに関する比類のない認識論を展開した。その中では、考えることの初期過程が、乳 児が「考える人のいない考え(情緒)」 (Bion, 1970, p.104) をコンテイナーとしての母親へ と投影同一化することで始まり、母親のもの想いやアルファ機能がそれらを考えることの できる考え、感情、夢、記憶へと変形する。そうしたコミュニケーションを通して、「乳 児が自分自身の内的なコンテイナー対象へと投影することによって、自身のアルファ機能 を用いて自分で考え始める」 (Grotstein, 2005, p. 105) につれて、乳児のアルファ機能は成 熟する。発達的そして臨床的には、コンテイナー/コンテインドの機能は、 2 人の参与者 間で対話的に反転する。 Grotstein (2005) の見解では、「乳児 - 母親 - 投影 - コンテイナーのチ ーム」は、それ以上削ることのできない二者モデルを表しており、そうすると、投影と取 り入れそして/あるいは投影同一化に基づくそれまでの一者モデルは、失敗したコンテイ となるのかもしれない。その臨床版においては、コンテイナー/ コンテインドという二者モデルは、被分析者に焦点づけられたままであるものの、分析家 の存在や活動を含む。この相互交流の分析場面が、ひとたびこうして二者間の三次元的な 光景へと広げられると、間主体的な視点(「頂点」)が探究されうる。コンテインメントは いまや、あらゆる転移/逆転移現象とまでは言わないまでも、その多くを増大させると見 なされ、 2 人の間の潜在的な絆(「隠れた秩序」)となるであろう (Grotstein, 2011b) 。 きわめて理論的な旅路の幾つかにおいて、 Bion (1965, 1970, 1992) はコンテインメント という自身の概念を、プラトンのイデア的形相やカントのもの自体と結び付けている。こ こでは投影する主体は、一連の L 、 H 、 K を伴うコンテイナー/コンテインドの特定の類 似物を活性化するのであるが、それらは、対応するイデア的形相ともの自体という元々そ こにあった普遍的状態の中に潜在していたものなのである。 ンメントの帰結の既定値 デフォルト

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Ⅳ . Bion 以降の発展

Bion 以降の精神分析家達は、コンテイナー - コンテインドのモデルの様々な側面について 議論し、詳述し、さらに発展させてきた。そのような詳述とさらなる発展の例はいくつかの 精神分析の地域に渡って世界的に広がっており、以下の通りである。 英国では Ronald Britton(1998) が、いかに言葉が情緒的体験のコンテイナーを提供し、そ の周りに「意味の境界」を創造する一方で、分析状況そのものが「境界のある世界」と意味 が見出される場所を提供するかを強調している。彼はコンテイナー - コンテインドの相互に 破壊的な関係、「悪性のコンテインメント」について詳述してもいる。そこでは新しい考え の導入に直面した主体は 2 つの(破局的な)選択肢、「幽閉か断片化か」しか想像できない のだ。 Betty Joseph の著作は、心的平衡を維持するための投影同一化のコミュニケーショ ンの側面と、この過程がコンテインされた場合に心的変化へと至る可能性を強調している (Joseph, 1989) 。 James Grotstein (1981, 2005) 、 Robert Caper (1999) 、 Thomas Ogden (2004) らの北アメ リカの分析家達も、この概念への多大な貢献をしてきた。前言語的な pre-lexical コンテイ ナー/コンテインドのコミュニケーション内の伝達の過程を明記し、 Grotstein は「投影超 同一化 projective transidentification 」の概念を発展させた:「そのようにして、分析家が被 分析者の・・・体験のコンテイナーとして振る舞い、・・・被分析者は自身から痛みを取り 除き分析家についての自身のイメージを操作することで分析家のなかにこの状態を 引き起 こす ことを望みながら、無意識的に自身の情緒的状態を分析家についての自身の イメージ のなかに 投影的に同一化する ・・・。分析家は、この共同任務における有用な共同参加者に なるつもりであり、開かれて受容的になる・・・。これは最終的に被分析者の投影による自 分自身のイメージの、分析家の逆創造になる・・・」 (Grotstein, 2005, p. 1064) 。 Caper は、 コンテインメントの主要な要素は、投影された部分について考え、それからそれをより対処 しやすい形で返すことができるように、投影された部分に対する現実的な姿勢を保つため に投影を受容する対象の能力も含むと強調している。彼はこれについて、患者の自己愛 narcissism を支持することを主な目的としたものである単なる抱えることを超えたものと して理解している。 Thomas Ogden の著作は投影同一化に巻き込まれている相互に交流す る主体に焦点を当てている。コンテイナー - コンテインドのモデルは、今ではクライン派の 中だけでなくその外においても広く受け入れられている。とりわけ、 Arnold Modell (1989) は、全体としての精神分析設定のコンテインする機能を強調しており、そして Judith Mitrani (1999, 2001) は、様々な発達的そして(精神)身体的状態にとっての、転移 - 逆転移 のパラダイムの内部におけるコンテインする分析家の機能の重要性を詳述している。

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Louis Brunet (2010) による現代のフランス系カナダ圏のモデルは、この主題についての 「後期ビオン派」 (Grotstein, 2005) とフランスの思索の統合の一例であり、この概念の特異 的な臨床的解釈を提供している。ここでは、コンテインメントは「空想的 fantasmatic 」と 「現実的」の両方の側面を持ち、合わせて理解される必要がある。患者と分析家の両方のこ ころのなかには精神内界的および「空想的」な側面があり、そして分析家や対象からの「現 実的」な反応がある。以下は、十分にコンテインする反応に至るための 5 段階を要約した分 類である: 1. その開始点は、破壊することのできない潜在的な対象の存在についての患者の無意識的 空想と関連した患者の投影同一化(分析家のなかに排泄 / 投影された苦痛な内容)で構成 されるかもしれない。その破壊することのできない対象は、それらの危険な投影を「コ ンテインする」ことができるであろう対象であり、そしてその子どもに(患者に)この 内容の「耐えられる」「統合できる」バージョンを返すかもしれない ; 2. この最初の「精神内界の」動きに続いて、患者もしくは子どもは、インフラ言語的 infra- verbal 【訳注:非言語的に伝わるもの】および言語的なコミュニケーション、態度、振 る舞いを加え、それらは主体(分析家、親)に対する情緒的な誘発として作用する。こ れらの誘発は、投影されたものを分析家に感じさせて取り入れさせるために「分析家に 接触」しようとする試みである (Grotstein, 2005 を参照 ); 3. 「現実の」対象 ― 母親、分析家 ― は、接触され、印象づけられ、動かされ、攻撃され、実 に患者 / 子どもからの蒼古的な要素の転移によって必要とされるあらゆるやり方で使用 される準備ができている必要がある ; 4. 母親、分析家は、いくらか意識的にだが主には無意識的に、同一化を通して情緒を感じ る。そのような同一化と分析家 / 母親自身の「触発された」不安と葛藤の混合は、混合物 としての自己 - 対象を創り出す。 De M’Uzan (1994) はキメラ【訳注:ギリシア神話に登 場するライオンの頭と山羊の胴体と毒蛇の尻尾を持つ怪物。異質同体の意】の概念を用 いてこの側面を研究している ; 5. このキメラは分析家によって「理解され変形され」なくてはいけない。この作業は患者 / 子どもの投影と、その投影によって動かされた分析家 / 母親自身の葛藤と情動の両方の 「心的消化」として見なされるかもしれない。分析家はそれから「消化できる内容」を 返さなくてはいけないが、それには患者に逆 - 投影同一化を送り返してしまう危険があ る。

中南米では、 Cassorla (2013) が慢性的なエナクトメント(エナクトメントの別項を参照)

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の文脈における、コンテインし象徴化する分析家の機能について詳述している。彼は、慢性 的なエナクトメントの間に分析家が使用する暗黙のコンテインし象徴化するアルファ機能 の産物としての象徴化する能力について書いている。この文脈のなかでは、分析家の暗黙の アルファ機能は、分析過程を侵食している妨害的な動きに持ちこたえる(コンテインする) 分析家の能力であるが、そのような動きが被分析者によって意味のあるものとして体験さ れるようになるために、生起していることを理解しようとする新しいアプローチの追求を 諦めることなく、分析家は今後(エナクトメントの)解釈をするべく準備するのである。

Ⅴ . 関連する概念

コンテイナー/コンテインドのモデルは、その他のこころの「空間」の概念と並行して発 展してきた。それらは考えること / 象徴化すること / メンタライズすることの能力を発展させ るための母親の機能を内在化する必要性に焦点を当てている。 コンテインメントは抱えること (Winnicott, 1960) とは区別されなければならない。 D.W. Winnicott の抱えることの概念は、コンテインメントの概念と同じく、乳児を母親から独立 したものとして理解することはできないことや、母親の「抱える」機能の内在化が精神の発 達に必要なことを伝えている。しかしながら、抱えることは、乳児のニーズへの高まった心 的感受性、そして、身体的に抱えることおよび全体的な環境の提供、の両方を含んだより広 範な用語である (Winnicott, 1960) 。一方で、コンテインメントは対象の側のさらに積極的な 精神内界的な関わりを意味し、より対象のパーソナリティに基づいている。 Esther Bick (1968) 、 Donald Meltzer(1975) 、 Didier Anzieu(1989) は、少し違ったやり方 で、コンテインする機能を持つ皮膚自我の発達を概念化している。 André Green(1999) は、 象徴化のための内的空間を創造するための母親機能の陰性幻覚の必要性について書いてい る。これらの分析家たちは、心的空間がまだ達成されていないと想定される状態や、一次的 そして付着同一化といった関係することについての他の原始的な方法(投影同一化以前の) へも注目を促しているという点で、 Bion とは異なっている。

Ⅵ . 現在の使用法と結論

コンテイナー - コンテインドのモデルは現代の精神分析において広く応用されている。精 神分析臨床においては、コンテインする機能は理論的志向に関わらず現代の精神分析家の

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大多数によって非常に重要であると考えられている。この用語は投影同一化の過程を理解 するためだけでなく、外傷および / もしくは未分化な心的状態のために過剰な緊張 / 情緒に支 配された心的状態を扱う際にも適用できる。今日では、多くの分析家が、母親のもの想いや アルファ機能だけでなく、父親機能の内在化の重要性も強調するだろう。つまり、父親の母 親とのつながりによって、母親がバランスの取れた精神状態を維持することを可能にして おり、母親は乳児のニーズに関心を払いながらも同時に三角空間の存在を受け入れるのだ。 Bion のコンテインメントの理論は治療効果についての新たな論拠を提供する。それは知 ることの情緒的体験に基づいた考えることの理論であり、彼はそれを「 K 」と呼ぶ。 Bion は 治療的邂逅における真実を探求しており、彼にとっては食物が身体に必須なのと同様に真 実はこころに必須なのだ。技法の点では、心的変化をもたらすために「コンテインメント」 の心的作業を要するであろう患者からの持ち込みに関して、セッション中に分析家を方向 付けることに役立つ。

以下も参照のこと:

エナクトメント

投影同一化(近日掲載予定)

参考文献

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各地域の顧問と貢献者

ヨーロッパ : Sølvi Kristiansen, Cand. Psychol.; and Dimitris-James Jackson, MD

中南米 : Vera Regina, J.R.M. Fonseca, MD, PhD; João Carlos Braga, MD, PhD; Antonio Carlos Eva, MD, PhD; Cecil Rezze, MD; and Ana ClaraD. Gavião, PhD

北米 : Louis Brunet, PhD; Eve Caligor, MD; James Grotstein, MD; Takayuki Kinugasa, MD; Judith Mitrani, PhD; and Leigh Tobias, PhD

地域間連携共同議長 : Eva D. Papiasvili, PhD, ABPP

追加英語編集補助 : Leigh Tobias, PhD

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国際精神分析学会地域間精神分析百科事典( The IPA Inter-Regional Encyclopedic Dictionary of Psychoanalysis )は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-NC- ND が付けられて出版許可されています。中核的権利は著者ら( IPA と IPA 会員寄稿者) にありますが、非営利的使用、全出典が IPA (この URL www.ipa.world/IPA/Encyclopedic_Dictionary の参照も含みます)にあること、模倣や編 集やリミックスの形式でなく逐語的複製であること、などの条件で他者も素材を使用する ことができます。各用語についてはこちらをクリックしてください。

訳出:清野百合、原田康平(訳)、吾妻壮(監訳)

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逆転移

三地域エントリー

地域間コンサルタント: Anna Ursula Dreher ( ヨーロッパ ), Adrian Grinspon ( 中南米 ), and Adrienne Harris ( 北米 ) 連携共同議長 : Eva D. Papiasvili ( 北米 )

Ⅰ. 序論そして手引きとしての定義

逆転移は精神分析の中で最も変化し、また変化しつつある概念の一つだ。逆転移には歴史 的、理論的、実証的、そして経験的に取り組む必要がある。今日では、この概念は極めて広 範にわたる分析状況での分析家の患者に対する(意識的無意識的な)感覚や思考、態度を意 味する。最も広い意味では、それは患者についての、あるいは患者に対する分析家の感覚や 思考、態度の総体を表している。最も狭いと、逆転移は非常に特異でほとんど無意識的な患 者の転移への ― 文字通り患者の転移に 対する ― 反応を表している。精神分析における最も入 り組んだ、複雑に発展しつつある概念の一つであるこの概念は、今日の一連の国際的な動向 を超えた多くの意味を持つに至っているが、逆転移の経験は、有効性と危険性の両方の可能 性を有していると一般に認められている。転移‐逆転移マトリックスのなくてはならない 一部として、逆転移概念は精神分析の不可欠で、もし多岐に広がる方向で概念化されるなら、 相互作用的次元を表す。 今日のヨーロッパと北アメリカの精神分析の辞典( Auchincloss, 2012; Skelton, 2006 ) に基づいて推定し展開させて、臨床的な現象としての逆転移の経験は、精神分析状況にある 多様な出所より生じるもので、患者と分析家の内側 within と間 between の様々に概念化さ れた過程とメカニズムによって伝えられるものであり、その現象学には以下のものを含め ることができる。

l 患者の素材に反応しての分析家の 意識的な感覚あるいは考え 。

l セッションの中か後で分析家が示されたことに対する真剣な自己分析と共に想起する あるいは(再)構成する無意識の感覚あるいは連想。このことは、分析状況の全体性に 対する反応としての分析家の精神内界的経験はもちろん、患者の転移への分析家の反 応、分析家自身の転移、あるいはやり取りの何らかの要素や特徴を含む。

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l 分析家の自我理想と葛藤を生じるような無意識の感覚あるいは考えで、分析家の感受 性や自己‐内省 / 自己‐分析する機能を妨げ、患者の分析、あるいは次第に強まる分析 家の 逆‐抵抗 の高まりの分析を妨げる様々に概念化された 盲点 を引き起こす。 l 一時的な問題 / 現象というよりも分析家のある状態、したがって分析家の自我が今まさ にそこにおいて知覚し、思考し、感じるような逆転移 ポジション 。そのような内的な状 態 / ポジション / 態度が行為に転じないで「誘発された」と体験する程度に応じて、それ は様々に概念化されてきた「投影同一化」そして / あるいは「役割応答性」を含むだろ う。 l エナクトメント、もし解決されていない逆転移が行為として排出されるならば。そのよ うな現象の有用性と必然性については幅広い議論がある。現代の多くの著者は、他の方 法によってはアクセスすることのできない(蒼古的で十分には象徴化されていない)無 意識的素材の現れを許容するものとしての逆転移エナクトメントという視点を推し進 めている。もしそれらの素材が理解され解釈されるなら、分析的なペアが新たな意味を 発見する機会を作るだろう。アクセスすることのできない無意識的素材が患者の(いか にかすであろうとも)行為により無意識的に喚起され / 誘発され / 吹き込まれると体験さ れる程度に応じて、エナクトメントはさまざまに概念化された投影同一化や役割応答 性を含み、さらには逆転移ポジションあるいは状態の段階的拡大となるだろう(エナク トメントの項目を見よ)。 現在の中南米の事典( Borenszejn, 2014 )は、上に述べた臨床的概念の多様性を幅広い要 約の中で叙述している。その幅は、 被分析者に対する心理学的な反応として分析家の中に現 れることがらすべて を含む逆転移から、被分析者の分析者との関係における 幼児的で不合 理で無意識的 なことがらを表す用語としての逆転移にまで広がっている。 全般的に言えば今日では 3 つの大陸文化全てを越えて、 逆転移と転移は不断の相互作用 ― 転移は逆転移を誘発しその反対もある ― にある「双子」のような概念とみなさなくてはな らない という意見の一致がある。それらは分析的な関係の中心的な次元を描写する。転移は 分析家との関係における患者の精神的な過程に焦点を当て、逆転移は患者との関係におけ る分析家のそれに焦点を当てる。精神分析の歴史を通じて逆転移への臨床的な関心は一貫 して強まっている。当初逆転移は、転移と同じく治療の妨げとみなされた。後には今日に至 るまで、関わりあう二人の無意識に至る「王道」のようなものとして広く理解されつつある。 このエントリーでは、まずは精神分析理論の進展と概念的枠組みの展開の中での逆転移 の多様な意味の発展を追い、エントリーのまとめでは逆転移の分類を試みる。全体を通じて この概念の進展が世界的な特徴であることに注目する。

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Ⅱ. 概念の歴史と進展

Ⅱ . A. Freud と「狭義」の逆転移 この用語は 1911 年の Freud から Carl Gustav Jung への、 Jung の Sabina Spielrein と の恋愛経験を扱った手紙の中で初めて現れた。「痛みを伴うものではありますが、そのよう な経験は必要で避けることは難しいのです。それらの経験なしに、私たちは人生や私たちが 扱いつつある事柄を本当には知ることができません・・・それらは私たちに必要な神経のず ぶとさを発達させ、 「逆転移」 を抑えるよう助けます。なにしろ逆転移は私たちにとって恒 久的な問題なのですから。それらは私たちに私たち自身の感情を最良の強みに置き換える ことを教えます。それらは「姿を変えた祝福」なのです。」( Freud, 1909, p. 230-231 ) この概念は、 1910 年に『精神分析療法の今後の可能性』の中で初めて正式に公表された。 そのなかで、 Freud は分析家について「私たちは分析家の無意識的な感覚への患者の影響の 結果として分析家に生じる「逆転移」に気づくようになってきた。加えて私たちは、分析家 は彼自身の中にこの逆転移を認識し克服するだろうと主張したい気持ちになってもよいだ ろう・・・自分自身の葛藤と内的な抵抗の許しを超えて進める分析家などいない」と述べた ( 1910. p. 144-145 )。この叙述の中で Freud が用いたドイツ語の「 Gegenübertragung 」 が、 López-Ballesteros(1923) によりまず最初にスペイン語で「 transferencia reciproca 」と、 あるいは英語では「 reciprocal transference 」、と訳されたことは注目に値する。 2 年後に『分析医に対する分析治療上の注意』の中で Freud ( 1912 )は、患者との分析的 な作業への準備として、そのような逆転移を認識し、取り組み、克服するための訓練分析を 主張した。 さらに後に、彼は「私たちは、逆転移を抑制し続けることを通じて我が物にした患者に対 する中立性をあきらめるべきではない」と付け加えた( Freud 1915, p. 164 )。 Freud は分 析家の心を「道具 instrument 」と考えたが、その道具は逆転移や分析家の 未解決の葛藤 と 盲点 によって分析の作業に課される 制限 により上首尾のうちに作動することを妨げられる。 したがって逆転移は分析家の自由と患者を理解する能力への障害だとみなされた。まず逆 転移は気づかれ、その後克服されなければならない。 しかし至る所で、矛盾あるいは葛藤の不可解でかすかな兆候の中で、概念の多様性 ( Reisner, 2001 )を予見し形作る彼の自身の理論をくつがえす努力に一致して、たくさん の手紙や理論的な見解の再評価において Freud は彼の弟子たちが自己認識と自己理解の一 部に耐えることを学びつつあることにもまた気づいていた。逆転移についての私たちの知 識の深化はこの原則にぴったりと調和している。この文脈において、精神分析の始まりを告

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げたテクストである『夢解釈』( Freud, 1900 )で最初に報告された夢が、卓越した 逆転移の 夢 である 1895 年の「イルマの注射の夢」だということは注目に値する。 ちょうど『夢解釈』を書いていた頃である 1895-1899 年の自己分析の間の Freud の生活 の Harold Blum ( 2008 )と Carlo Bonomi ( 2015 )による歴史的再構成は、 Freud の Fliess への転移、および Freud と Fliess の共通の患者 Emma Eckstein (夢の中では「 Irma 」、後 には最初の女性の精神分析の治療者)への Freud の逆転移の複雑さを明らかにしている。 Blum と Bonomi は、この逆転移がどのように彼の理論の発展を(とりわけ、両性性から異 性愛規範性へ、誘惑による外傷論から精神性的発達、無意識的空想および精神内界的葛藤と いう精神分析的な概念化へ、という発展を)形作ったかを論証する。この文脈において逆転 移概念は、「精神分析の誕生」からその発展全体を通じて、理論と実践、臨床的な作業と概 念化の不断の交流を例証しわかりやすく説明する。 Freud はこの概念を導入したが-転移の場合とは異なり ― 逆転移を分析の作業の効果的 なツールとして作り上げる歩みに明白には踏み出さなかった。 Freud の明示的な初期の観 点は逆転移の「狭義」の視点と呼ばれるようになった。彼の初期の信奉者の多くは、初期の 精神分析の教科書、口頭発表や学会誌で明らかなように( Stern, 1917; Eisler, 1920; Stoltenhoff 1926; Fenichel, 1927, 1933; Hann-Kende, 1936 )、この「狭義」の視点に従っ た。英語表記ではこの狭義の視点は「逆‐転移 counter-transference 」としばしばハイフン を用いて記載され、分析家の患者の転移に対する無意識的な(転移的な)反応を強調した。 この視点から生まれた興味深い記述が Helene Deutch (1926) によってなされた。彼女は「 相 補的ポジション complementary position 」としての逆転移という考え方を導入したが、そ れは後に Heinrich Racker の独創的な寄与の中で練り上げられた。 この狭義の視点の行く末を見ると、とりわけ、例えば Annie Reich (Reich, 1951) のよう なフロイト派の技法の標準的な支持者のその他の仕事の中に、さらには、幾分異なる視点か ら、 Jacques Lacan (1966/1977) の仕事の中にも、そのような狭義の視点が引き続き保たれ ていることを見ることができる。 Reich は「逆‐転移」を 分析家の 分析的な共感への転移 性の障害 として強調するのだが、 Lacan は分析家と患者の非対称的な関係の中で分析家の 知識と「力 power 」の影響を改変し広げているにもかかわらず、逆転移をもっぱら思い違 い、神経症、および分析家の全般的な機能の破れ目の貯蔵庫であり、解釈の作業には必要が ないものとみなしている。患者の欲望よりも状況の間主体的な力動全体を理解するという 分析家の欲望の優先を考慮に入れることが必要だという逆転移に関するラカン派の概念は ― 精神分析において「抵抗」はまず、そしてまっさきに 分析家の抵抗 だという彼の有名な発 言により繰り返されているとおり ― 特にヨーロッパと北アメリカのフランス学派の間主体 的な方向性の中で今日でもなお鳴り響いている( Furlong, 2014 )。 とはいえ Freud は、分析家は患者の無意識のなにかを分かるか気づくことができる治療

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的なツールとしての逆転移という視点を予見しているように思われるいくつかの見解を記 した。彼は「分析家は受話器が送話器に順応するように彼自身を患者に順応させなくてはな らない。電気的振幅を受話器が音波に転換して戻すように、・・・医師の無意識は、彼に伝 達された無意識の派生物から、患者の自由連想を決定づけた無意識を再現することができ るのである」と記した (1912, p. 115-116) 。さらに無意識的過程についての見解を推敲する 中で、 Freud(1915) は分析状況における患者の無意識の力動のみならず分析家のそれにも特 別な注意を向けた。彼は、 患者と分析家 の 意識的および無意識的な 心的過程とは深く 絡み合 っている という事実をはっきりと知っていた。 1951 年に Annie Reich は、このことに関す る特別な側面について、分析家にとって、患者は「過去の感情と願望が投影される過去の対 象」を表すようになる (1951, p. 26) と力説した。転移はどこにでも姿を現すのだから分析家 たちも患者たちに、患者たちがまさに分析家たちに抱くであろう転移を持つと思われる。 ( その感覚は患者にとっても分析家にとっても大部分が無意識であるだろう。 ) このことは『終わりある分析と終わりなき分析』 (1937b) において示された。 Freud はそ の中で、患者の抑圧と接触し続けることで、さもなくば抑制されたままであったはずの欲動 の要求が分析家の中にいかに喚起されるものなのかということを、そしてこのことがやが ては「危機」 という結果にさえなる かもしれないのであって、それ故に分析家には定期的な 自己分析の必要性が生じるものであることを力説した (1937b, p. 249) 。それまでの言明と比 べると、このことは明らかに患者‐分析家関係の異なる側面、すなわち患者の無意識への反 応はプロセスを、そして 分析家の中に変化 すら引き起こすかもしれないということを提起 している。 初期には、逆転移は主に分析家の患者への転移は分析家が冷静に患者を評価することを 妨げ、分析家の客観性、中立性と臨床的な有効性を妨げる リスク として概念化された。しか し、彼の後の眺望においては、それまではこの主題についての自身の考えの「その他」の傾 向としてほのめかされていたにすぎないものが結実し、逆転移は単なる分析家の精神 内界 的 intra psychic な力動という問題というだけではなく、精神 相互的 inter psychic な過程の 結果であるとされるに至り、後の発展を明確に予示する視点となっている。 II. B. より広い概念の基本的な輪郭 (ハンガリー、英国、そしてアルゼンチンにおける 1920 年代後半 ― 1950 年代前半) 逆転移が 治療を妨害するものから道具 になるというパラダイムシフトは 1920 年代後半 に Sandor Ferenczi (1927, 1928, 1932) がトラウマをもつ患者に対して、分析家の立場をむ しろ 参与する観察者 として考え、分析的な中立性(そして禁欲性)という原則に挑戦したこ とから生じ始めた。 Ferenczi の教え子でもあり、翻訳者でもあった Michael Balint (1935, 1950; Balint and Balint 1939) はその後分析治療の目的の「古典的な」記述と「ロマン的な」

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記述を区別した。すなわち「古典的な」著者たち ― フロイト に始まる ― は洞察の発展を強調 し、自我を強めるよう心的構造が変化することと関連して分析の目的を考えていた一方で、 「ロマン的な」著者たち ― 初期の対象関係論者である Ferenczi そして 「新規蒔き直し」と いう概念を提示した Balint 自身 — は力動的または情緒的要素に焦点をおいた (Balint 1935, p.190) 。 Ferenczi の初期の論文、「取り入れと転移」 (1909) は分析家の逆転移を被分析者の 転移と相互作用するための道具とみなすことでこの発展の前兆となっている。全ての類の 情緒的反応 が、外傷体験のある患者に対して感じる愛情ですら、 心的変化に対する原動力に なりうる と Ferenczi は主張した。彼の「参与する観察者」という分析的スタンスと「柔軟 性のある技法」 (Ferenczi 1928) は、逆転移を共‐構築され共‐創造されるものとして考え、 そして分析家の主観的経験を分析的治療の中でさまざまな重要性をもって参与しているも のとして考えるようなその後の考え方の、歴史的な先駆といえよう。 Ferenczi の逆転移に ついての観点の提示そして柔軟性のある技法という彼の臨床は、とりわけ外傷体験をもつ 患者との分析的作業において、非常に創造的で一貫して影響力を持っていると認知されて いる (Papiasvili 2014) のだが、 Balint (1966) が好意的だが厳密に検討したように、当初か ら論争を呼び幾分過剰だとみなされた。この観点のより革新的な部分は、後に、 性愛的な逆 転移 [ 分析家がアナリザンドに性的関心を発展させること ] でさえも患者に心的変化を引き 起こすことができると主張した北米の分析家 Harold Searles(1959, 1979) により表面化し た。 逆転移が有効な治療的手段になるという考えは 1950 年に Heimann により明示された。 Heimann は患者に対する分析家の情緒にまず焦点づけた。 Haimann の逆転移についての 基本的な想定は「分析家の無意識が患者の無意識を理解するのであり、この深いレベルでの ラポールは、分析家が患者への反応において、すなわち「逆転移」において気付く感情とい う形で表面化する」 (Heimann 1950, p. 82) というものであった。分析家は患者への自らの 情緒的応答 ― 逆転移 ― を隠された意味を理解するための鍵として使用しなくてはならない。 つまり、分析家は「引き起こされる感情を … 分析的課題に利用するために、(患者がするよ うに)排出する代わりに耐える」ことができなくてはならない (1950, p. 81-82) 。このよう に、分析家の逆転移は、 Heimann によると、 患者の無意識 の中へと 精査する道具 であり、 それは分析的作業の中で最も重要なものである。しかしながら、それをどのような条件で分 析的に利用するかということについては、それとして認識するが体現しないというものだ った。 Heimann(1960, 1982) の定式化は、広く精神分析文化の中で、逆転移についての著作物に 影響力を持ち啓蒙するものとなった。これが逆転移の「 二者関係の観点 」と呼ばれるように なったもので、分析家から被分析者に早期の無意識状態の遺残物を移すのに加え、分析家と 被分析者の間の相互作用によって創造されるものの一部という認識を表す。 このより広い 観点では、「逆転移」という用語はセラピストの無意識的衝動や不安、内的対象、そして過

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去の人間関係から派生したものだけでなく、セラピストが患者に対して持つ 全て の情緒、空 想、そして全ての種類の 経験 を示す。 逆転移についてのこの広い観点は、同時期に英国の Donald Winnicott (1949) そしてアル ゼンチンの Heinrich Racker(1948, 1953, 1957, 1968) といった他の著名な思想家によって も発展した。英国と中南米におけるこれらの並行する発展は、 Horacio Etchegoyen(1986) に より言及され、彼は Heimann と Racker の仕事は相違点と同時に顕著な類似点があり、そ れぞれ独立して進んだと強調した。 英国では、 Heimann が新しく提示した逆転移についての視点はクライン派により「 投影 同一化 」の概念が導入されたことを巡っての大論争の背景で激しく主張された (Klein 1946, Meltzer 1973) 。 Edoardo Weiss (1925) と Marjorie Brierley (1944) により「投影同一化」と いう用語は以前より使用されていたが、その概念を定式したこと、そして 対象への侵入する 万能的な空想 に対応させたのは、 Melanie Klein の貢献とされている。 Klein 自身は臨床的 に逆転移を使用することに明らかに関心はなかったが (Spillius, 1994) 、彼女の投影同一化 の概念は広い意味での逆転移の概念に密接に関連する。投影同一化(別項目である投影同一 化を参照のこと)は患者が分析家に自分の感情(後にこの概念が拡張される前は、ほとんど 「悪く」破壊的なものを元来強調するものだった)を投影することを意味する。理論的には、 逆転移の範疇では、分析家の無意識的情緒と空想は被分析者によって 引き起こされている とみなされる。 アルゼンチンの Racker (1948, 1953, 1957) は投影同一化の概念を、特に逆転移の臨床的 文脈に導入した。逆転移についての Racker の概念化には Freud と Klein 両方の影響が認 識できるが、 de Bernardi(2000) の中南米の伝統における逆転移のレビューによると、無意 識的幻想の考えと投影と取り入れのメカニズムを顕著に利用していることから、 Racker は 総じて Freud 派よりも Klein 派に位置づけられる。 Racker の考えでは、逆転移は 患者の投影同一化に対する分析家自身の反応 とみなされる。 患者の投影による情緒的反応において、分析家は患者の内的対象に同一化する( 補足的逆転 移 )か、または患者の自己に同一化する( 融和的逆転移 )。 「補足的ポジション」としての Deutsch の逆転移についての考えを広げて (Deutsch 1926) 、 Racker は被分析者の内面と同一化する分析家の傾向について言及している。これは構造的 に概念化すると、分析家の人格のそれぞれの内的審級が被分析者の人格の中の対応する部 分に同一化するということである。つまり一方の自我は他方の自我に、イドはイドに、とい うようにである。 Racker はこれらの同一化を「融和的」と呼び、分析家が被分析者の内的 対象と同一化する「補足的」と呼ぶものと区別した。彼の体系の中では、融和的と補足的同 一化は相補的に釣り合っている。つまり分析家が融和的な同一化を理解し損なった度合い

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と同じくらい、補足的な同一化が大きくなる。

融和的同一化は共感という性質を持つと説明され、昇華された陽性の同一化に源がある。 一方では主体としての分析家がいて知識の対象としての被分析者がいる。対象関係はある 意味消え、そこには主体の一部と対象の一部の間のおおまかな同一化が存在する。それは 「融和的」と呼べるような組み合わせである。他方で、分析家の側の真の転移といった性質 を持つ対象関係が存在する。そのさい被分析者は分析家のなんらかの内的(蒼古的)な対象 の代わりとなり、それと同時に分析家は早期の体験を再生する。この組み合わせが「補足的」 と呼ばれる。このようにして、逆転移反応を通じて分析家は患者の内的に主要な役が自分に 投影されることを気づくことができる。 Heimann はいくつかの点で反対の立場をとる。それは、逆転移は患者に反応して分析家 に感情を喚起するというものである。このような感情は 分析家の感情 であり、患者の分析家 への投影同一化の結果ではない。そしてそれらを心に留め理解することは 患者の無意識へ 接近 する構成要素となる。 Heimann の発展させたものでは、逆転移は分析家に「意識と無 意識で感知していることに隔たりが生じている」可能性を伝える無意識の「 認識の道具 」で あり「分析家の仕事に極めて重要な道具 … 」である。そのような違いは帰するところ「患者 の無意識的取り入れ、そして患者との無意識的同一化」 となる (Heimann 1977, p. 319) 。 Berlin から亡命したあと Heimann は最初に Klein 派と関係をもったが、彼女は逆転移 を二者心理学的視点からみるグループに含められることが多い。彼女は自身が Klein から 独立し始め Ferenczi および Balint の世界と再び結びつくようになったのを「逆転移につ いて」という論考からだとしている。その論考では、分析家の 情緒的応答 の豊かな働きに集 中的に焦点づけすることと 情緒的表出 についての 注意 を バランスよく混ぜる ことを提示し ている。 彼女は分析的逆転移を患者の一種の 創造物 であり、分析家に役に立つものとみな していたようだ。しかしながら、彼女の臨床のヴィネットでは逆転移を「手がかり」とも「間 違った手がかり」ともとれる自身の感覚を含めている。 逆転移という概念がますます重視されることに纏わる論争において、 Winnicott の『逆転 移のなかの憎しみ』は重要で独立した位置を呈している。 1949 年に出版されたこの論文は Heimann が詳述した内容を予示するもので、とりわけ Winnicott が逆転移の一面として相 互的で欠かせない攻撃性の役割を概念化したことで、逆転移についての複数の考えが出現 する中、彼を欠くことのできない存在にした。 Winnicott の二本の論文、『情緒発達との関 連でみた攻撃性』( 1950 )と『逆転移のなかの憎しみ』( 1949 )は共に 分析家の攻撃性と憎 しみの必然性と臨床的な有用性 を明らかにしている。 Winnicott によると、憎しみは 愛 と母 親の原初的没頭に反対するものではなく、それと 対になっている 。憎しみは境界を設定し、 分離において、そして幻想と現実をときほぐす被分析者の能力において助けとなり、万能感 による危険な経験を減らす。このようにして、セッションの時間を終えることに含まれてい

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